大師山 法楽寺 想いの記 法灯により法友とともに法楽に住せん

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ほんのひとこと 01:01
 
マル秘当ブログでは、皆さんのためになればと考えて体験した事例をご紹介する場合、ご了解をいただかない限り、特定の方に起こった特定のできごとであると判らぬよう、内容を変えるなど細心の注意をはらって文章化しており、決してプライバシーの侵害はいたしませんので、ご安心ください。楽しい
| - | - | - | posted by 住職 遠藤龍地
『四十二章経』第十三章 ─汚れ─ 06:03
 機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと『四十二章経』を学びました。

仏の言(ノタマ)わく、
『人、愛欲を懐(イダ)いて道(ドウ)を見ざるは、譬(タト)えば濁水(ジョクスイ)の、五彩(ゴサイ)を以(モッ)て其中(ソノナカ)に投じ、力を致して之(コレ)を撹(カキミダ)さば、衆人(シュニン)共に水の上に臨むも、能(ヨ)く其影(ソノカゲ)を覩(ミ)る者無きが如し。
 愛欲もて心中(シンジュウ)を交錯(キョウシャク)すれば、濁(ニゴ)りと為すが故に道(ドウ)を見ず、水澄み、穢れ除こり、清浄無垢なれば、即ち自(オノヅカ)ら形見(アラワ)る。
 猛火(ミョウカ)を釜の下に著(ツ)け、中の水踊躍(ユヤク)すれば、布を以(モッ)て上を覆い、衆生(シュジョウ)照臨(ショウリン)するも、亦(マタ)其(ソノ)影を覩(ミ))る者無し。
 心中(シンジュウ)、本(モト)三毒の涌沸(ユフツ)し、内に在(ア)る有り。
 五蓋(ゴガイ)外を覆うて、終(ツイ)に道を見ず。
 要は心垢(シンク)盡(ツ)きなば、乃(スナワ)ち魂霊(コンリョウ)の従来(ジュウライ)する所、生死(ショウジ)の趣向(シュコウ)する所を知る。
 諸仏国土というも、道徳の在(ア)る所のみ。』


 釈尊は言われました。
「人は愛欲を抱くので悟りへの道筋が見えない。
 それは、濁った水へさまざまな色の絵の具を入れてかき混ぜれば、その上に自分の顔が映って見えないようなものである。
 愛欲によって心がかき乱されていれば、心は濁った状態なので、覚りへの道筋が見えない。
 水が澄むように心が澄み渡り、穢れがなくなり、清浄無垢になれば、水面にモノの形が映し出されるのと同じく、自然に道筋が明らかになるのである」

 愛欲は、強く欲し、執着する心です。
 人の道よりも強く興味を抱き執着する対象があれば、人の道を探求する心は脇へ置かれ、あるいは忘れ去られます。
 それでは覚りへ至ることなどできはしません。
 私たちみ仏の子には、生まれながらに、人の道を考えまっとうに生きようとする仏性が具わっていますが、心が乱れていればそうした宝ものがあることに気づきません。
 見えないのです。
 心を澄ませれば見えてくるという教えは、実に明確なイメージを伴っています。

 釈尊は言われました。
「釜へ水を入れ強い火で焚けば、水は沸騰する。
 それを布で覆ったならば、誰がのぞき込んでも水の中は見えない。
 心もまた、三毒が沸き立ち、五蓋によって覆われているので、覚りへの道筋が見えない」

 三毒とは貪り、怒り、愚かさです。
 私たちは、何かが欲しくなると歯止めが効かなくなりがちです。
 求めるべきものでなくとも、あるいはある程度あれば充分なはずなのに、勝手に欲しがり、無制限に欲しがります。
 また、つまらぬことでカッとなり、それが尾を引き、消えぬ怨みとなったりします。
 誤解によるものであっても、慢心が根本原因であっても、自分で消さない限り怒りの炎はずうっと燃えていたりします。
 あるいは、自分につごう良く考え、我欲を満たすために愚かしい希望を持ち、愚かしい計画を立てたりします。
 すべては空(クウ)であり、お互いがいつも自分を第一としたいばかりにこの世は苦の巷になっているにもかかわらず、執着し、我欲にそそのかされて愚かしく生きます。

 五蓋とは、心を乱し、正しくはたらかせない5つの邪魔ものです。
 それは、貪る心、怒り憎む心、怠けだらける心、高ぶったり落ち込んだりする心、正しいものを正しいと信じて行動できない疑心暗鬼の心です。
 こうしたものにすっぽりとくるまれていては、どうにもなりません。
 人としての戒めは実践されなくなります。
 
 釈尊は言われました。
「要は、心の垢がなくなれば霊性のありようも、生き死にの行方も見通せるのである。
 覚者のおられる所とは、覚りへの道筋が明らかになり、その徳に満ちている所である」
 
 垢をなくすには、戒めを守り、戒めが自然に生き方そのものになることです。
 無益な殺生ができなくなり、ウソがつけなくなり、自分勝手な考えをもたなくなれば、自然に生まれ持った霊性がはたらき、さまざまな疑問が解け、生きるべき確固とした道筋が見えてきます。
 仏国土とは、こうした人々によってつくられる極楽です。
 私たちの考え方、生き方次第で、この世が地獄になるか極楽になるかが決まります。
 さて、地獄で生きたいでしょうか、極楽で生きたいでしょうか。
 そして、私たちの子々孫々を地獄の住人にしたいでしょうか、極楽の住人にしたいでしょうか。

〈当山の池にも咲く蓮華は比類なき花です〉


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| 【解説】この世の幸せ | - | - | posted by 住職 遠藤龍地
7月の聖悟 ─弘法大師の教え─ 06:06
「示す者なき時は、すなわち目前なれども見えず。説く者なき時は、すなわち心中なれども知らず」 ─弘法大師─

(明らかに示す者がいなければ、永遠不変の真理は目の前にあっても見えず、説く者がいなければ永遠不変の真理は、心の中にあってすら知られない)

 仏法は永遠の真実を明らかにする真理を説いていますが、無明という根源的な無知と、煩悩という根源的な穢れを抱えている私たちは、なかなか理解できません。
 それは、あたかも、人間やネコなど地上に生きる生きものが海中の様子を知らず、クジラやマグロなど海中に生きる生きものが地上の様子を知らないようなものです。
 しかし、無明・煩悩を克服して覚りを開いた存在である仏陀(ブッダ…覚者ともいいます)は、両方の世界を知っておられます。
 智慧を獲得し、無垢の存在となったからです。
 そのような存在から観れば、迷いの世界しか知らず、そこが同時に覚りの世界でもあることに気づかない私たち凡夫は、いかに哀れなことでしょうか。
 救わずにはいられないという慈悲が湧いてくるのは当然でありましょう。

 最近の科学が明らかにしつつある色と脳の関係も、この教えを理解するための参考になります。
 光にはさまざまな波長があり、人間は人間なりに持っている脳のはたらきによって三原色を基本にした色の認識をしていますが、イヌやネコの脳は人間とは異なったはたらきを持っているので、白黒か、それに近い色の判別しかできないとされています。
 仏陀はすべての色を認識できる能力を持っておられると想像すれば、人間との違いが実感できます。

 いずれにしても、人類は、覚者に導かれつつ、破滅をせずにここまで来ました。
 人間であれ国家であれ、おのおのが好き勝手にやりながらなお、全体が滅びないで済んだのは、全体を壊滅させるほど悪業が積まれていなかったからでしょう。
 しかし、今は違います。
 アメリカを筆頭として、地球を何度でも破壊し尽くすだけの原爆が蓄えられ、このまま行けば遠からず生態系を破壊し尽くすほど環境汚染は進みました。
 また、ほとんど指摘されていませんが、性悪説が広がりつつあることも、人類の危機を増大しています。
 一番解りやすい例が、最近、盛んに行われるようになった「先制攻撃の正当化」という考え方です。
 北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射しようとしているならば、発射される前に日本からミサイルを発射して北朝鮮のミサイルを破壊しても良いのではないかという主張です。
 一見、もっともですが、この思想には重大な危険性が潜んでいます。
 やられると思ったなら先に相手をやっつけても良いとなれば、対立関係が発生した場合、先制攻撃をした側が必ず正当性を主張するに違いなく、戦争になってしまえば、正当性も何もかもが意味を失ってしまうからです。
 高邁な理想を掲げて太平洋戦争まで突き進んだ日本が、負けた結果、東京裁判という無法な裁判で死罪に値する極悪人に導かれた国と決めつけられ、今は、東京裁判の正当性が世界中から否定され(最高司令官マッカーサーが誤りだったと認めています)つつあります。
 戦争と荒廃という恐ろしい事実・現実の前には、正当性の主張などほとんど無意味です。
 恐れ、戦い、狂い、殺し、殺された後で、いったい、いかなる観念が救いになりましょうか。

 絶対に戦争を起こさないという覚悟を突き崩す最後の斧が性悪説であり、恐怖であることをしっかり認識しておきたいものです。

 覚者は、覚りの世界の様相を説き、覚りの世界を感得して迷いの世界を脱する方法を説きます。
 この道筋は、性悪説とはまったく無縁です。
 なぜなら、不安や怒りや恐怖をもたらし、我をはってお互いを傷つけ合う悪事に走らせる無明も煩悩も実体はなく、幻に過ぎないからです。
 幻を幻であるとしっかり観る眼を持てと説く覚者の教えこそが、人類を危機に陥れつつある性悪説を克服し、原爆も、戦争も、環境破壊もなくすための方法です。
 お大師様の教えどおり、〈示す者〉や〈説く者〉を信じ、導かれつつ霊性を高めたいものです。
(ただし、〈示す者〉や〈説く者〉が本ものか偽ものかを見分けることが大前提ではあります)

〈破風も順調です〉


〈宮大工の方々は原寸大の図面を描きます〉


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| 今月の守本尊様・真言・聖語 | - | - | posted by 住職 遠藤龍地
ペットの葬儀 05:43
 最近はペットのお葬式やご供養が増えました。
 それも、犬であれネコであれ、多くが15才前後からそれ以上の長寿です。
 ご〈遺族〉の方々は、皆さん、家族を亡くしたのと同じような気持でお別れの場、あるいは偲ぶ場へ参加されます。
 当山では「あなたは家族、あなたは友」という呼びかけをもって修法を始めます。
 一緒に住むものは皆、家族であり、友です。

 最近、ペット霊園でこんな話をお聞きしました。
「この間、修法していただいた方々は、遺体を連れてこられた時は大泣きしていたけれども、修法が終わり、火葬してお骨を壺へ収める頃には皆さんすべて、吹っ切れたような雰囲気になっていました。
『ちゃんと送ってもらったから、大丈夫よね』『人間のお葬式よりも丁寧だったねえ』などと言っておられました。
 家族を送った方々に安心してもらえると、送るお手伝いをしている私たちも、とても安心できます」

 やはり、お地蔵様のお力は偉大です。
 どんなに迷っていても必ずお救いくださると説く経典は真実を告げています。
 至心に祈る時、送られるペットも送る人も、確かに救われています。

 また、経典は、お地蔵様とお不動様は通じていると説いています。
 時には優しいお姿ですぐそばに来られ、時には厳しいお姿で自他の魔を祓ってくださるみ仏方と過ごす日々は、感謝感謝です。
 このありがたさを、一人でも多くの方々へお分けしたいと願いつつ。今日も法務にとりかかります。

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| 【解説】あの世の安心 | - | - | posted by 住職 遠藤龍地
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