想いの記 ─住職の本音・本心・本気─ 托鉢で始めたお寺です。皆さんと共に「この世の幸せとあの世の安心」のために、学び、実践しましょう。

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カウンセリングと人生相談 06:54

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 京都大学総合人間学部教授カール・ベッカー博士によると、アメリカには、遺族カウンセリングを行う病院があるという。
 

末期患者が亡くなるであろう二、三ヶ月前から、家族、そして医療従事者、患者の世話をするチーム、看護婦や医者、そしてだいたいにおいてはハワイでしたらお坊さん、本土でしたら神父、牧師などを呼んで一、二時間くらいティーパーティーをひらきます。
 お菓子を出して、場合によってはビールとか酒も出します。」(以下『日本人の死生観』より)


 驚いた。
 医者が何かを告げるといった目的ではなく、患者の話を聴くのはもちろん、集まった人たちが「お互いに話せるような場」を目ざす。
 もちろん、祈りたい雰囲気になったなら、一緒に祈ることもある。
 数回、開催するうちに本人は他界するが、その後も毎月、数回は「雑談」を続けることが理想とされている。
 そうすると「不思議なこと」がわかる。
 

遺族カウンセリングをやった場合、遺族がほかの一般の人と同じような比率で健康でいられるのに対して、一般の、遺族カウンセリングをもたない遺族は、死なれて一、二年もたたないうちに突然死、急病、精神異常、自殺未遂等々、悪運をずっと引きずります。」


 これはかなりきつい表現だと思うが、家族の死をどう受けとめ、咀嚼(ソシャク)するかはその人その人によるとは言え、「遺族カウンセリングのある方が健康にいい」と事実を突きつけられてしまえば、唸るしかない。
 しかも、この事実は広く知られ、アメリカでは郡や町の単位でティーパーティー代を負担する制度すらつくられている。
 せいぜい十数万円ではあるが、医師や牧師などに時間をとらせ、クッキーなどを用意すればそれなりの実費は要する。
 その経費と、遺族の運命の重さとを比べ、「みんなのほうから出しましょうということになる」そうだ。

 さらに博士は指摘する。
 

「私がこの話を日本人に語るというのはいささか滑稽に思えませんか。
 だって、日本ではお坊さんがずっとそういう作業をしてきたのですから。
 昔のお坊さんは、死なれてからだけではなくて、患者が危ない、最期ではないかと思う時点から家庭に出入りし始めて、そして死なれてから何度も、四十九日、一周忌、等々、宗派によって微妙に違いますが、そこでお経を唱えるだけでなくて、みんなが話し合える、悩みを聞き合えるという場を設けて、いわば祟りを無事に抜けてきたのです。 これが日本人の知恵だったのです。」


 一昔前までは、生前にお墓を建てることや、万が一の際の準備をすることは「縁起でもない」と避けられていたが、今はむしろ、先に逝く本人が、ご葬儀の準備すら〈自分の責任〉と考えるのが一般的になりつつある。
 事実、当山には、たくさんのご家族がお揃いで相談に来られる。
 もういくばくもないと宣告されている方を目の前にして、息子さんが「おやじ、これから二人とも高校進学で大変なんだから、お墓はそんなに立派なの造れないよ」と言い、父親が「じゃあ、お墓代は俺と母さんが何とかしよう。お前は永代供養料と年間管理料を払って、孫の教育のためにも墓を守って行けよ」などとざっくばらんに話し、衆議一決する場合もある。
 もちろん、送る立場の奥さんが一人で来られ、こっそり、ご夫婦の分、共同墓の契約をして「これで安心です」と穏やかな顔で帰られたりもする。
 また、四十九日の日取りをご相談に来られ、お墓のことで親族間のズレが生じていると悩みを打ち明けるご遺族もおられる。
 四十九日、百か日、一周忌、三回忌と続く一連の供養は決して形式的な慣習ではない。
 薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来という異なる役割を持つご本尊様方に導かれ、あの世の御霊が安心の世界へと向かうのみでなく、供養するこの世の人びとも又、悼み、慰め、祈るまことを尽くしつつ、それぞれの心なりに身内の死を受けとめ、知らぬ間に心を深める貴重な機会である。

 何か、〈聴いて欲しい〉ことがあったなら、遠慮なく人生相談を申し込んでください。
 アメリカにはアメリカなりのスタイル、日本には日本なりのスタイルがあります。
 博士が「ずっとそういう作業をしてきた」と言うとおり、当山は人生相談を寺院の中心的役割と位置づけ、歴史的使命を果たさせていただきたいと願っています。
 




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| 【解説】あの世の安心 | - | - | posted by hourakuji
「津久井やまゆり園」殺人事件に想う 07:22

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 7月26日、植松聖容疑者(26才)が相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に押し入り、19人を殺害した事件から一ヶ月が経った。
 容疑者が事件を起こした社会的背景は、二つ挙げられる。

1 畏敬の欠落

 一つは、私たちの心に畏敬というものが育ちにくくなり、霊性や良心へつながる通路が狭くなっていることだ。
 作家の村上龍著『日本の伝統行事』に「わたしたち日本人の信仰」という項目がある。
 

「日本人がイメージする神とは、敬いと畏怖と祈りの対象、その『象徴と総体』とでもいうべきものだ。
 祖先の霊、仏像、神社、そして畏れと感謝の念を抱く自然そのもの、それらがわたしたちの神のイメージを形作っているのではないだろうか。
 家族の健康と幸福を神社に祈願し、祖先の墓や仏壇を拝み、リスペクトを持って仏像に接し、自然に対しては、収穫への感謝と災害への畏れを祭祀などの形で表現する。」


 私たちは子供の頃、神社のお祭で不思議なもの、恐ろしいもの、浮き浮きするものを感じとった。
 誰かの葬儀では、死がとても丁重に扱われ、死者が崇められることを知った。
 サイクリングで大雨に遭えば自然の力に立ちすくみ、稲刈りでは垂れ下がる稲穂がご飯になることに驚き、元気に飛び跳ねるイナゴもまた時には貴重な食料として私たちを助けることに感心した。
 合掌して口にする「いただきます」には、背筋を伸ばさせる何かを感じた。
 こうした行事や慣習や作法はすべて、何らかの〈畏敬〉に発しており、振り返って見れば、親からこの〈畏敬〉を教えられたこと以上の恩はないように思える。
 まさに、「象徴と総体」が〈神的なもの〉として、幼い子供の心に畏敬という感覚を育てたのだ。
 数々の失敗をし、親や他人様へ迷惑をかけながらまがりなりにも70年、生きてこられたのは、何ものかに対する畏敬の念が、道を踏みはずす一歩手前で止めてくれたおかげであったような気がする。
 不動明王が手にしておられる索(ナワ)でお救いくださるとは、このことに相違ない。
 

神から親しみと優しさを感じることで、わたしたち自身も周囲に優しく接しようとする。
 それは明らかに日本人の美徳の一つである。」


 最近、おもてなし、もったいない、が流行語になっているが、私たちに共通の宗教的感覚から発する「おかげさま」は、流行を超え、いつも身近にあるかけがえのない言葉だ。
 この〈かげ〉こそが畏敬の対象であり、村上氏の言う「象徴と総体」に等しい。
 その〈かげ〉は、私たちがよきことを行う時は後押しをし、悪しきことを行う時は止めてくださる。
 畏敬する相手は、「親しみと優しさ」を持っておられ、感謝の思いが湧いてくる。
 それを感じとる時、私たちの霊性や良心へつながる扉が開き、私たち自身もまた、誰かにとっての〈かげ〉となっている。
 自然に「周囲に優しく接しようとする」心がはたらくようになるのだ。

 容疑者の言動を見ると、ここのところがあまりにも見事に欠落していると思える。

2 価値観の喪失

 もう一つは、太平洋戦争の敗戦を機に、私たちが経済的復興と共に議論し練り上げてきた共通の価値観が、打ち捨てられつつあることだ。
 容疑者は「ヒトラーの思想が降りてきた」と語っている。
 ヒトラーが障害者を「価値なき生命」として安楽死させたことがホロコーストにつながり、狂気の戦争と殺戮が行われた。
 その悲惨さ、無惨さが骨の髄まで沁みた人びとは、こうした非人間的な行為と歴史が二度と繰り返されないよう、人権を考え、尊厳を考え、一歩一歩と社会制度の構築も行ってきた。

 たとえば、浅野史郎氏は厚生省の課長時代にグループホーム制度をスタートさせ、宮城県知事時代に加速させた。
 百カ所ほどだった住宅は現在約7千カ所にまで増えている。
 明らかに「施設から地域へ」という流れは進んでいるが、その一方で、積み上げられてきた歴史を知らない人びとが増え、共有しているはずの価値観が急速に失われつつあると思える。
 事実と歴史に立脚し、今さら議論する余地もほとんどない価値観が、もはや空気のようになってしまい、そのありがたさが忘れられつつあるのだろうか。
 このままでは、差別と傲慢とが蔓延し、再び戦争へと向かう歴史を繰り返すことにつながるのではなかろうか。
 私たちはこの70年間、何を積み上げてきたのか、その価値観を再確認する必要がある。
 
 この事件は、私たちが立脚しているはずの土台が崩れかけていることを教えてくれた。
 おかげさまの心が薄れ、戦後培ってきた価値観が消えつつある。
 殺伐とした心は、たやすく無慈悲な行為へと走る。
 言うまでもなく、その先には戦争が待っている。

 この事件が後世「戦争への道を暗示する事件だった」と言われぬよう、心から願わずにはいられない。
 




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| 日想 | - | - | posted by hourakuji
少女へ月輪観を伝授する 06:14

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 ある時、小学校低学年の少女月輪観(ガチリンカン)という瞑想法を伝授した。
 大丈夫かなと一瞬、思ったが、親御さん以上に真剣な顔をしているので、始めた。
 長めの白いワンピース姿で、当たり前のように結跏趺坐(ケッカフザ…右足を左足の腿へ乗せる座法)を組む。
 五体投地ももスルスルとこなす。
 観想文については理解しやすく説明した。
 一言も聞き漏らすまいとしていることがよくわかる。
 真言も耳から聴いたように唱える。
 腹式呼吸のところではさすがにとまどっていたようだが、タイミングなどは会得したらしい。
 眼前の図像から満月を胸中へ取り込むところは何度も繰り返した。
 途中で、大丈夫かい、休もうかと声をかけたが、頭(カブリ)を振る。
 とにかく胸中に月輪ができたようなので最後まで通して伝授した。

 お月様は胸のところにありましたか?
 終了後に訊ねてみると、橙色だったと言う。
 都会の子なので、青白い月ではなく、やや赤みがかった月を眺める方が多いのだろうか。
 事前に、昔の行者は実際に満月を眺めながら修行したと説明しておいたので、正直に自分なりの月をイメージしたのだろう。
 作法について厳密に言えば問題はあるが、とにかく一時間半の伝授と体験を休みなくこなし、お月様が広がったというところまで行ったのだから大したものだ。

 帰りしな、御朱印帳を差し出す。
 付き添った親御さんのものではなく、本人がカバーもかけて大切にしているのだという。
 途中で幾度か、緊張を解きほぐそうとしたが、笑顔にはならないけれど、心は柔らかく保たれていたようなので、ある程度は覚えたことだろう。
 最後におみくじを引いた。
 子供用のものではなく、恋愛用のものを引いたらしい。
 さすがに皆で大笑いとなった。

 思えば、托鉢日記にこう書いたものだった。
托鉢をしていると、自分がタンポポの種を運ぶ風に思えてくる。」
 未熟な行者だが、いつしか心に仏法の小さな種が形成される。
 托鉢先で祈り、見知らぬ方々と裸の言葉を交わすうちに、心もとなかった種がはっきりと結晶し、相手と共有される。
 御札と共にそれを置き、次のお宅へ向かう。
 種はそれぞれのお宅へ渡すが、行者の胸から消失はしない。
 こうして現在の自分がつくられたように思う。

 東日本大震災の津波によって無数の〈種〉が行方不明になった。
 しかし、小生の心に蓄えられた種は今、別な形で次の世代へと渡されつつある。
 どんどん渡したいと思う。
 同時に、ご縁の方々と共に新たな種を結晶させる努力も続けたいと思う。
 だから、輪廻転生(リンネテンショウ)は楽しみである。
 




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| 瞑想会 | - | - | posted by hourakuji
伝統行事と唄う会 07:24

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1 「日本の伝統行事」のこと

 村上龍氏著『日本の伝統行事』は、英訳付き、かつ、新たに描かれた画像が豊富で、これまでに類を見ない力作です。
 氏は序文で思いを語りました。
 

「日本の伝統的な行事は、酒や食事や部屋の飾り付けを通して、また歌や踊りや祈りなど儀式的な行為を共有することで、共同体の一員であるという自覚と、他の人々との一体感を、結果的に得るようにデザインされている。
 しかも祝祭的な催しを通じて、日本固有の価値の方向性ともいうべきものが、自然に刷り込まれる。
 つまり、家族や友人の大切さ、幸福への素朴な願い、女として生きていく作法と喜び、子どもは健やかに育つべきという教え、親や先祖は敬うべきものだという基本、弱者に憐れみを他人に思いやりを持つことの重要性などが、伝統的な行事を通して自動的に刷り込まれる。」


 私たちは、自分たちの手に〈共有〉しているものを忘れつつあるように思われます。
 それは、歴史に磨かれ、伝えられてきた〈価値の方向性〉が見えなくなりつつあるということでもあります。
 私たちの精神は、言葉遣いはもちろん、箸の持ち方や挨拶の作法など、呼吸するように身につけたことごとによって支えられています。
 いつの世も、そうした伝統に新たな体験や工夫が加えられ、その時代なりの文化が形成されてきました。
 

「この絵本は、わたしたちが美しい伝統的な行事を持っていることを確認するために作られた。
 この本で紹介した伝統的な行事は、わたしたちすべての日本人が、すでに広く平等に持っている無形の財産だ。
 経済成長による『世間』の消失、グローバリズムによる国家の枠の弱体化と地域社会の疲弊、共同体意識の消滅、そういった精神文化の危機に際して、すでに持っている財は滞留させず、運用したり活用したりしたほうが合理的ではないだろうか。」


 8月9日、日本代表が4位となった女子体操団体戦の決勝で、フランスのトマ・ブエル氏はこう伝え、問題となりました。
「まるで漫画のキャラクターみたいです。
 みんな大喜びしています。
 アニメみたいな満面の笑みで、小さなピカチュウがいっぱいです。」
 小柄な日本人に対する差別ではないかという私的が広がりました。
 しかし、小生は胸が冷たくなる思いをしました。
 アイドルグループやアニメのヒーローなどと一体化することによって自分の価値を確認するかのような、日本の若者たちの生き方に深い疑問を抱いてきたからです。
 私たちは、「広く平等に持っている無形の財産」を忘れ、次々と目新しいものを提供して消費者へお金を使わせる商業主義に取り込まれてしまっているのではないでしょうか。
 何かのバランスが大きく崩れかけているのではないでしょうか。
 フランス人が何を言いたかったのか、私たちはその深意を考え、自らをよく省みる必要があると思えてなりません。
 

「わたしたちは、その国の文化を、芸術や文学や音楽や映画から学ぶ。
 だが、伝統的な行事について知ることも、異文化を理解する助けとなる。
 今後、わたしたちの社会では、宗教も文化も国籍も違う人びととコミュニケーションしながら、ともに生きていくことが、何よりも重要になっていくだろう。
 日本の伝統的な行事とその価値を自ら確認し、内外にそれらを伝えることは、さまざまなコミュニケーションの手助けとなる。
 わたしはそう考えている。」


 東日本大震災で津波に遭った地域の復興は、泥の中から見つけた小さなお地蔵様を路傍に立てて合掌し、お祭を復活させるところから始まりました。
 長老に導かれ、老若男女がそれぞれの役割を果たす避難先での炊き出しは、まるで、お祭の準備をするように整然と、和やかに行われていました。
 地域がそっくり消滅するほどの危機に際し、伝統行事によって伝えられた感覚が私たちの心にまだ、確かに息づいていることを強く認識させられました。。
 私たち自身がそこに立つ時、「宗教も文化も国籍も違う人びと」との「コミュニケーション」がますます必要になってゆくであろう未来は、より友好的で創造性に満ちたものになるのではないでしょうか。

2 「日本の童謡唱歌集」と「歌う会」

 坂本龍一氏が総合プロデュースした『日本の童謡唱歌集』において、編曲者トベタ・バジュンは述べています。
 

「今回の仕事では、子どものころから馴染みのある『童謡唱歌』と、久しぶりに、また本格的に向かい合うことになり、まず最初に『なんて美しい歌曲なんだ!』と、思い知らされることになりました。
 考えてみれば当然ですが、当時の日本のトップクラスの作詞家と作曲家によって生み出された傑作ばかりで、それを再認識させられたということです。
 どの楽曲も、日本の美しい四季を、精密、かつ簡潔に描いた歌詞と、時代を超えた普遍性を持つメロディーが見事に融合していました。
 その独特の『和の音楽世界』へと、ぐいぐいと引き込まれていったわけです。」


 坂本龍一氏も指摘しているとおり、北原白秋、山田耕筰といった第一級の詩人や音楽家が子供たちのためにたくさんの楽曲を作ったことは、世界に類を見ません。
 高いレベルで洗練された音楽だからこそ、時代を超え、時には国境を超えてまで、尊ばれ、親しまれ、唄われ続けてきました。
 今般、以下の要領にて、友に唄う会を催します。
 どうぞ清浄で温かなひとときをお過ごしください。

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 私たちは今、社会に無慈悲さや卑劣さが広がっていると感じ、心にいささかの苛立ちを抱えつつ生きているのではないでしょうか?
 いじめ、パワハラやセクハラ、格差の拡大、無差別テロ、あげくの果ては戦争。私たちの心から、優しさという大切な宝ものが失われつつある、あるいはその輝きが何ものかによって覆われつつあると思われてなりません。
 宝ものとは慈悲であり、愛であり、優しさであり、許す心です。
 真の優しさには5つの要素があります。
〈信じる〉〈認める〉〈教える〉〈与える〉〈守る〉、これらが円満に実践されてこそ、「優しい人」と言えるのです。
 共に考えてみませんか?

 さて、今回の寺子屋では、「優しさ」を見つめなおし、唱歌を歌うことによって、私たちが持っている美しい情緒に息を吹き返させましょう。
 一人一人の心にある泉から清水を流れ出させ、お互いの心を癒し、社会の乾きに潤いをもたらそうではありませんか。
 合唱を指導してくださるのは、鎌倉女子大准教授で合唱指揮者、ウィーン国立音大にも留学した声楽家小山裕之先生です。
 仙台市出身の先生は、仙台市や鎌倉市や東京都などで、さまざまな合唱団を指揮するかたわら、広く一般の老若男女に歌う楽しさを味わっていただこうと、気さくな指導も行っておられます。
 当日は、広い会場で、「もみじ」「小さな木の実」「ふるさと」など楽しい歌や懐かしい歌を聴くだけでなく、共に先生の指導を受け、自慢の喉に磨きをかけられてはいかがでしょうか。
 お子さん連れも大歓迎です。
 どうぞ、お誘い合わせてご参加ください。

・日時:9月10日(土)14時〜16時
・場所:仙台市泉文化創造センター(旧イズミテイ21) 小ホール(403席・車椅子可)
    仙台市泉区泉中央2−18−1 022-375-3101
・会費:1000円(中学生以下無料) ※東日本大震災で被災された方は無料です。お申し出ください。
・参加:自由(事前申込みは不要です)
・主催:大師山法楽寺 黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1 
※お問い合わせはこちらへ:筺022(346)2106  mail:ryuuchi@hourakuji.net
 




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「おん あらはしゃのう」
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| 寺子屋『法楽舘』だより | - | - | posted by hourakuji
オリンピック男子50キロ競歩のエバン・ダンフィー選手 ─現代の偉人伝第231話─ 06:39

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〈互いに相手の国旗を手にしています〉

 8月19日に行われたオリンピックの50キロ競歩において、日本の荒井広宙選手(28才・自衛隊)とカナダのエバン・ダンフィー選手(25才)が48キロを過ぎた終盤、デッドヒートとなった。
 接触でバランスを崩したダンフィーがバランスを崩して失速し、荒井選手が3番目でゴール、ダンフィー選手は4番目だった。
 日本では荒井選手が銅メダルを獲得したと報じられたが、カナダの抗議によって荒井選手は失格、ダンフィー選手が3位とされ、それに対して日本が抗議した結果、レース終了から3時間半後に、荒井選手の銅メダルが確定した。
 そのおりに、ダンフィー選手はコメントを発表した。
 

「今回のことはレース後に、カナダの陸上競技連盟の判断で行われた。
 お互いぶつかることは競歩ではよくあること。
 競技の一部だと思ってます。
 これ以上、スポーツ仲裁裁判所に上訴するつもりはありません」


 そして、自らのツイッターにはこう書いた。
 

「Thank you to everyone for you're support today. I'm super proud of my race! Bring on #Tokyo2020」


(今日のレースで応援してくれた皆さん、ありがとう。
 私はこのレースぶりをとても誇りに思っています。
 2020年の東京オリンピックに向けて頑張ります)

 一方の荒井選手はレース直後、こう語っていた。
 

「最後の1周で抜かれるかもしれないと思ったら、『絶対負けられないな』という気持ちになって、自分でも不思議になるくらい力が出た。
 ここまでつらいこともたくさんあったが、メダルを取ることができて本当によかった。」


 両陣営による抗議の結果を淡々と待ち、裁定後にこう言った。
 

「レース中の接触はよくあることで、失格は納得できなかったが、3番でゴールしたことには変わりなく、どちらに転んでも次につながるレースになったと思っていた。
 予想外の展開だったが、とりあえずメダルが確定してよかった。」


 事実、両選手はレース後、抱き合って互いの健闘をたたえ合っていた。
 

「選手間ではフィニッシュ後にハグして『ごめんね』と向こうから言われた」
「悪いことをしたとは思っていないし、彼が怒っているようには見えなかった。
 お騒がせしました」

 

 なお、ダンフィー選手は、この6日前に20キロ競歩で10位、そして、この〈マラソンより過酷〉と言われるこのレースに臨んだ。
 彼のコメントは適切、完璧だったと言えるのではなかろうか。
 それは、心に余分な曇りがないことを示している。
 このできごとは幾度となく報道された。もう見飽きた方もおられることだろう。
 それでもなお、書かねばならなかった。
 私たちは日々に忘れるけれど、どうしても忘れたくないからだ。

 俳優高畑裕太容疑者(22才)の婦女暴行事件、受験勉強をしないからと父親(48才)が小学生の息子を刺殺した事件、千葉県の路上で若い女性2人が通り魔的に相次いで刺された事件、コンサートのチケットが不当に高額転売されている状況。
 こんな新聞の紙面を眺め、アスリートのまごころを書きとめておかねばならないと強く思った。


 




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8
 

 




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| 現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜 | - | - | posted by hourakuji
お釈迦様への攻撃者 06:39

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〈緑深い自然墓『法楽の郷』〉

 お釈迦様の晩年、弟子の提婆(ダイバ)が阿闍世(アジャセ)という王の帰依(キエ)によって勢力を持ち、教団の乗っ取りにかかった。
 お釈迦様は弟子たちへ注意された。
 以下、武者小路実篤著『釈迦』から抜粋する。(現代風に漢字と仮名を変えた)
 

「愚かなものには、あまりに布施(フセ)が多いのは、悪をます原因になる。
 愚癡(グチ)なものは、清浄な行をしないで、弟子をつくることを考え、人の上に立つことを考える。
 人がもし一方で多くの供養を求め、他方で涅槃(ネハン)を求めようとしても、それは無理である。
 涅槃を求める心はいつのまにか、貪欲(ドンヨク)な心となる。
 あまりに寄進を貪るものは自らを傷(ソコ)ね、他人を傷つける。
 だからお前達は提婆が多くの供養を受けるのを羨んではいけない。」

「芭蕉(バショウ)や竹や葦(アシ)は実がなるとそのために死ぬ。
 驢馬(ロバ)も懐妊(カイニン)するとその身を喪う。
 提婆供養を多くもらいすぎると同じ結果になる。」


 お釈迦様は弟子たちから提婆の追放を求められても放置した。
 

提婆を去らせる必要はない。
 勝手にさしておくがいい。
 しかし阿難(アナン)よ。
 愚かなものには逢ってはいけない。
 一緒に仕事をしてはいけない。
 無用な論議もしてはならない。
 提婆は今、邪念が益ゝ(マスマス)高まっている。
 悪狗(アクク…獰猛な犬)を打てば、ますます凶暴になるようなものだ。
 さわらないがいゝ。」


 提婆は取りまきたちと策謀をめぐらす。
 

「仏陀の弱点は何処にあるかと云うことを第一に知ることが必要だ。
 そして私の教えの法が仏陀の教えよりも正しいことを人に知らすことが必要だ。」


 彼らは、お釈迦様が供養で出された魚を食べること、供養で受けた上等な着物を身にまとうことを攻撃しようと決めた。
 

「一 衲衣(ノウエ…糞掃衣〈フンゾウエ─汚物を掃除したようなボロボロの着物〉のこと)を着ける事。
 二 一食(イチジキ)の事。
 三 魚の肉は食わない事、それを食えば善法は生じない事。
 四 食(ジキ)は乞う事、他の招待は受けない事。
 五 春夏の八ヶ月は露座し、冬の四ヶ月は草案に住する事。人の屋舎(オクシャ)を受ければ善法は生じない。」


 大勢の弟子たちが集まった講堂で、ついに提婆はお釈迦様へ面と向かって難詰した。
 

「世尊(セソン)、私は、この頃つらつら考えてみましたが、沙門(シャモン…出家修行者)は矢張り、一生糞掃衣を着けて過ごすべきだと思います。
 又食事も一日一食にし、乞食法(コツジキホウ)で得たものだけを食べ、他人の家へ食事に呼ばれても御馳走になるのは堕落の始めだと思います。
 それから夏は露地に住み、冬は草庵に住むべきで、立派な家に泊まるのはよくないと思います。
 殊(コト)に魚を食うなぞは殺生戒を重く見る我々には見逃すことのできない悪事ですから、魚の肉は食わないようにすべきだと思います。
 この五つの法を守れば、少欲知足(ショウヨクチソク)の善法を守ることが出来、精進、持戒、清浄の諸徳を自ずから具え、涅槃(ネハン)に早く入れるようになると思います。
 この五法は皆に守らせるようにしなければならないと思いますが、世尊はどうお考えになりますか。」


 お釈迦様は貧しい者から王様まで広く帰依(キエ)を受け、法を説いておられたので、高貴な人からは手厚くもてなされた。
 相手に応じて受ける供養を、提婆は堕落であると指摘した。
 お釈迦様は答えられた。
 

お前はなぜ五法がいいと思うなら、自分一人で行わないのか。
 私はそれを決して禁じてはいない。
 むしろ私はそれをほめている。
 だが、それは誰にでも強制すべきではない。
 身体の弱いものもあるし、人の親切を無にしてはならない時もある。
 自分が行うならいいが、それを誰にでも行えと云うのは、事を好むものである。
 思うに、お前は、諸々の比丘(ビク)の和合しているのを、方便(ホウベン)をもって破ろうとして、わざとことを大げさにいい、非常行法(ヒジョウギョウホウ…特殊な決まりごと)を、常行法(ジョウホウギョウ…常に行うべき決まりごと)として説くのであろう。」

「過去の諸仏は糞掃衣をおほめになり、それを着るのをお許しになっている。
 私もそれをほめ、それを着ることを許している。
 私は同時に、居士(コジ…在家で徳の高い人)の供養する衣も着ることを許している。
 過去の諸仏は乞食をおほめになり、お許しになっている。
 私もそれをほめ、それを許している。
 過去の諸仏は一食をほめ、それを許している。
 私もそれをほめ、それを許すが、二食するものを許す。
 過去の諸仏は露地に住むことを賞め、それを許している。
 私もそれをほめ、それを許しているが、又家に住むことも許している。
 私は殺すところを観たり、聞いたり、又私のために殺した疑いのある肉を食うことは許さないが、私の知らない所で、既に殺されてしまった、三つの浄肉は許しているのだ。
 それ等はお前達が思っている程、涅槃(ネハン)に入るさまたげにはならないのだ。
 こうしなければならないとあまりにはっきりときめる方が反(カエ)ってさまたげになる。

 そのことを私は知っているのだ。」


 こう説き、個室での瞑想に入られたという。
 この世で生きることは、あくまでも、他者との〈関係性〉の中にある。
 だから、お釈迦様は、里にいる牛の声が聞こえる範囲に住んで修行するよう説かれた。
 仏道修行は、仙人になるのが目的ではない。

 ちなみに密教の行者は、十善戒などの戒律はふまえた上で、「四重禁戒」も守らねばならない。

正法(ショウボウ)を捨てる心を起こさない。
 悟りを求める心を捨てない。
 正法を他者へ与えることを惜しまない。
 衆生に不利益となることは一切、行わない。」

 自分が救われることと、他者を救うことは同じだからである。
 自分だけが何かをすれば救われる、何かをしなければ救われないというあまりにこまごましたことごとにとらわれると、自分の生活に対して依怙地(イコジ)になり、他者へ対して邪慳になり、つまらぬ軋轢(アツレキ)や深刻な対立や無用の軽蔑、あるいは幻の優越感などを生みやすい。
 また、自分や自分たちに対して、より厳格であることを見せびらかし、何かの手段にしようとする人々は宗教の世界だけでなく、どこにでもいる。

 何かにとらわれることの恐ろしさ、愚かさに気づき、見せかけの厳格さに隠された自己中心的な意図を見破りたいものだと思い、長々と引用しました。
 仏教はあくまでも智慧を大切にする道理の宗教なのです。
 




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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| 【解説】この世の幸せ | - | - | posted by hourakuji
むのたけじ氏の死 06:58

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〈お盆供養会にて〉

 ヒグラシ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミ、彼らが薄暗い早朝から順次に鳴く8月21日、ジャーナリストむのたけじ氏(本名・武野武治)が亡くなった。
 101才だった。
 昭和20年8月15日、敗戦を機に、氏は朝日新聞を退社した。
 理由は明白にしている。
 

「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」


 そして、故郷の秋田県横手市で、週刊新聞『たいまつ』を33年間発行し、休刊後は、講演や著作活動によって平和を訴え続けた。
 今年の5月3日、東京臨海広域防災公園でこう語ったのが最後の公的発言となった。
 

「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」


 私たちは〈害されたくない〉生きものである。
 もの言わぬネコや金魚やカラスとて同じだろう。
 しかし、人間は、ずっと、誰も望まぬはずの行為を集団でやってきた。
 戦争である。

 敗戦の2年後、詩人鮎川信夫は『死んだ男』を発表した。
 一緒にスマトラへ出征し、病気になって帰国した後に死んだ詩友森川義信へ送ったものだ。
 その詩は、こう締め括られる。
 

「Mよ、地下に眠るMよ、
 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。


 内なる痛みを生きる詩人が、外からも痛みの原因を押しつけられ、ついには無理やり、生きているところから引きはがされる。
 それが戦争であり戦死だ。
 痛みから救われる可能性が奪われる。
 宙ぶらりんの痛みは、友を悼む鮎川信夫を傷めてやまない。

 作家浅田次郎氏は『無言歌』において、故障した特殊潜航艇の中で死んで行く二人の軍人を描いた。
 その最後にこう会話させる。
 

「俺は、ひとつだけ誇りに思う」
「しゃらくさいことは言いなさんなよ」
「いや、この死にざまだよ。
 戦死だろうが殉職だろうがかまうものか。
 俺は人を傷つけず、人に傷つけられずに人生をおえることを、心から誇りに思う
「同感だ、沢渡。
 こんな人生は、そうそうあるものじゃない」


 私たちは、自分が生きることを最優先にしないではいられない。
 それが自己中心的心性をもたらす。
 無意識の裡に永遠の人生を願い、それを阻害すると思える邪魔ものは許せない。
 この〈永遠の人生〉なるものが、空(クウ)と無常の真理に気づかぬところに生ずる幻であることを知らぬ無明(ムミョウ)から、傷つけ合う世間が現れる。
 だから、お釈迦様は、二面から救われる道を説かれた。
 一つは、真理に気づくための智慧を獲得する修行である。
 そしてもう一つは、無明で生き、自他を傷つけてしまう人間そのものを哀れみ許す慈悲の涵養(カンヨウ)である。

 自分がずっとこのままで存在し、やりたいことをやり続けたい、これは智慧なき状態である。
 自分を傷つけると思えるものは許せず、気に入らないものを害したい、これは慈悲なき状態である。

 私たちは、自分だけが好きなことをやり続けたいと思ってはいないだろうか?
 私たちは、嫌なものを排斥し尽くしたいと願ってはいないだろうか?
 この傾向が強まれば、個人的にはバラバラになる。
 社会的には刺々しくなる。
 国際的には緊張感が高まり、そして戦争になる。
 お釈迦様が説かれた救われる道と正反対に進めば、戦争がやってくる──。
 




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| 不戦堂 | - | - | posted by hourakuji
謙信公祭に登場する師範代 07:28

 

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 今日、謙信公祭において、隠形流(オンギョウリュウ)居合の飯野師範代が武将役で登場します。
 師範代は長年、往事を偲ばせる催事にかかわり、技術指導なども行ってきました。
 武者行列は全国にあっても、謙信公祭のように合戦を再現するものはほとんどなく、かつてはGACKTが参加して大人気を博したりもしていました。
 ぜひ、本格的な合戦の雰囲気を味わっていただきたいと思います。
 不動明王摩利支天(マリシテン)の法を中心として用い、肝腎なものを守るという隠形流居合の精神に合った役柄であると思います。
 本格的な稽古で培った奮戦ぶりをぜひ、ご覧ください。
 




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| 隠形流居合 | - | - | posted by hourakuji
バドミントンの金メダルと無心について 06:58

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 隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場で、聖ウルスラ学院英智高(仙台市)出身者がバドミントンで金メダルを獲得したことに話題が集まった。
 師範代は、高橋礼華選手(26才)が「19オールとなってから覚えていない」と言った話をとりあげた。
「身体が自然に動いていたんでしょうね」
 彼女はきっと、無心の状態で闘ったのだろう。
 こうやればこうなると、頭が余計な計算はしない。
 何かを得たり失ったりすることが気になりもしない。
 そして身体が動けばそれがきっと、その人にとって〈最善〉というものだろう。
 居合の行者が剣を手にしても同じである。
 刃筋が通り、ピタッと決まった時は、「そうなっている」と言うしかない。

 密教の行者が壇上で印を結び真言を唱え、ご本尊様の世界を観想して〈そこへ入ってしまう〉時と同じである。
 小生はこの状態を「法が通る」と言っている。
 行者の魂が神仏の世界やあの世へと通じてしまう。
 お大師様は、そのこと、すなわち「加持(カジ)」が書かれた『大日経』を発見しても、自分で読んだだけでは実際に通じさせる方法がわからなかった。
 だから海を渡り、伝授を求めてまっしぐらに行動された。
 そして、お大師様が受けた伝授は1200年を経た今でも、世界のどこかで続けられている。
 タカマツの試合ぶりは、私たちが〈そこへ入ってしまう〉時、最高の力が出せることを教えているのではないか。

 行者Aさんから質問された。
「サイコロを振って望みの目を出すという訓練を始めたのですが、丁半なら、どちらを念じても50パーセントの確立を上まわらなければならないのに、私はむしろ、下回ってしまいます。
 どうすればよいのでしょうか?」
 これも初心者によくある現象である。
 表面の意識では「丁」と念じたつもりでも、その底にある疑念や不安などが強いと、意識されない心の部分が爐修Δ呂覆蕕覆き瓩犯紳个貌阿い討い襪里任呂覆い。
 幾度やっても、心のはたらきが同じパターンであれば、結果は同じだ。
 もしも習い性になれば、結果は表面の意識が願う姿からどんどん遠ざかるかも知れない。
 ここを突破する方法は一つしかない。
 伝授された護身法(ゴシンポウ)をしっかり結び、単純に念ずるという訓練を繰り返すしかない。
 そうしているうちに疑念や不安が薄れ、心全体が単純に「丁」へと向かえば、必ず、「丁」の出る確立は50パーセントを超えてくる。

 タカマツは「覚えていない」状態で勝利した。
 居合の行者は「そうなっている」ところを目ざす。
 密教の行者は「法が通る」ところまでやらねば修法を行ったことにはならない。

 リオデジャネイロのオリンピックで顕著な日本選手の逆転劇には、何かを〈会得〉したという共通の精神的背景があるのかも知れない。
 この〈会得〉こそ、精進(ショウジン)を尊ぶ私たちの文化が持つ精華なのではなかろうか。
 8月7日、フランスのトマ・ブエル氏は、女子体操で活躍する日本人について、「小さなピカチュウがいっぱいだ」「小さい人たちが喜んでいるよ」と中継した。
 差別ではないかという声も上がったらしいが、身体の大きさについてはともかく、日本の文化と日本人のふるまい方がヨーロッパ文化圏の人々からどう見られているのかという興味深い示唆だったと思う。
 科学的関心を高く持ち、狭い国土で大きな人口を養うために何ごとも効率を高め、よいものや、おもしろいものには無心で飛びつく。
 しかし、私たちにはそれだけでなく、とことん自分を鍛え、〈会得〉を目ざすという不退転の文化もある。
 高橋礼華選手の「覚えていない」は歴史に残る言葉となるのではなかろうか。
 




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| 日想 | - | - | posted by hourakuji
酷暑に想う 07:02

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〈福島原発における放射性物質の拡散による避難区域を、チェルノブイリ事故の基準で考えた場合の地図〉

 多くの方々が「今年の夏は暑かった」と感じておられるのではないだろうか?
 文字どおりの酷暑であり、当山の本堂にある温度計は36Cを初めて越えた。
 むろん、立秋を過ぎた現在の残暑もまた、辛いものがある。
 小生のような年配者になると、自分が年々、弱ってきているので、特に応えるという面もあるのだろうと考えるが、それでも酷くなったと思えてならない。

 進化生物学者長谷川眞理子氏は「ヒトの適応力、追いつかない」と語っている。
 そこには、瀧のように汗をかいて体温を下げるという珍しい適応力に恵まれた人間でも、この先どうなるかわからない、という恐ろしい予見が含まれている。
 私たちの漠然とした「絶滅」への不安が徐々に裏付けられつつあるのだろうか?
 以下、朝日新聞の抜粋である。
 

「ヒトは、大量に汗をかくことでその蒸発熱で体温を下ログイン前の続きげることができる、珍しい動物です。
 ウマも汗をかきますが、ヒトは毛がないので、水のような汗をかく。
 炎天下のサバンナでもトコトコと歩いて獲物を追い、植物を探す。
 暑さに対してそういう特殊な適応をした、哺乳類の中でも変わった生き物といえます。
 だからこそ、マラソンもできるんです。」


 私たちは寒さには耐えやすい。
 暖かい建物の中で、暖かい衣装を身にまとっていればよい。
 他のほ乳類もまた、地中に潜ったり、何かをかぶったりしてがんばれる。
 ところが、暑さに耐えるのは難しい。
 この夏をエアコンなしで過ごした方も少なくないだろうが、大変な消耗をされたのではないか。
 他のほ乳類も、せいぜいが汗をかいたり、忙しく呼吸を行ったりするしかなく、あとは木陰でうずくまり、季節が変わるのを待つのみだ。
 

「ヒトには、涼しくするための技術もあります。
 気温が50度近いところなど、風土に合わせて生きていける文化もある。
 暑さへの適応は本来は得意なはずです。
 なのに、体温が上がりすぎて熱中症になる人が増えている。
 その意味を考える必要があると思います。


 環境変化のスピードが速すぎて、対応できなくなってきたのかもしれません。
 都市は冷房の排熱などでヒートアイランド化し、自分で自分を暑くしている面もあります。
 子犬が自分で自分のしっぽを追いかけているみたい。


 氏は「子犬のしっぽ」で都市文明の危うさを衝いている。
 まったく同感だ。
 核発電が核のゴミを生産し続けていることと同じく、目先の楽を求め、環境と未来への負担を増産している。
 

「人工的な環境のなかで暮らし、自然の変化を感じ取れなくなった。
 対応が遅れることもあるでしょう。」


 朝、目覚める時には、自動管理のエアコンが室内温度を適度に保ち、仕事場もまた同様であれば、自然の変化は、せいぜいが通勤途中かテレビの中におけるできごとでしかない。
 買い物や通院などでしかマンションから出ない年配者にとって、外は気をつけて早く通り過ぎるべき〈危険地帯〉でしかないのかも知れない。
 ましてや、体温よりも高い気温ともなれば、その中に身を置きたい人はわずかだろう。
 

「地球規模でみても、温暖化は生き物に大きな影響を与えつつあります。
 国連が2001〜05年に行った『ミレニアム生態系評価』によると、北半球の99種の鳥やチョウ、高山植物の生息地は10年で平均して6・1キロ北に移動しました。
 122種の植物やチョウ、鳥、両生類が春に出てくる時期は、2・3日早まった。
 暑くなっても身体は急に変われず、逃げるしかない。


 私たちはすでに逃げている。
 私たちの予感はすでに、〈このままどこまでも逃げ切れはしないだろう〉という地点にまで達しつつある。
 

地球のあちこちで、こうした生息域の変化が起き、生物が絶滅の危機にある。
 水や物質の循環、そして生態系全体が変わったとき、いったいどうなるのか。
 実は生態学者にもわかっていません。
 しかも何万年もかけてできたシステムが100年、200年という時間で変わるかもしれない。
 いずれ安定するにしても、その過程で破壊的な変化が起きないか。
 それもわからない。


 子々孫々やこの国の未来を案ずるならば、誰かを頼るわけにはゆかない。
 日々の生活の中で、車をどうするか、エアコンをどうするか、などなど自分がやれることをやるしかない。
 自分がかかわっていない自分の〈環境〉など、どこにもないのだ。

 しかし、原発事故を起こしたあの時、大多数の国民が脱原発を望んだにもかかわらず、いつしか原発は「ベースロード電源」とされ、消費者が発電方式によって電力を買う企業が選べないまま放置されている状況は信じがたい。

 平成25年9月7日、安倍首相は、東京へオリンピックを招致したいあまり、大見得を切った。
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。
 状況は、統御されています。
 東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」
 東日本大震災に遭い、福島県のみならず、一時的に故郷の消滅を覚悟した東北の人々は、一様に目と耳を疑ったはずだ。
 そして、東京が時期オリンピックの開催地となり、日本選手がリオデジャネイロで目の覚めるような活躍をしている今、汚染水が海へ流れ出ることすら止められない現実が明らかになっている。
 8月18日、東電は、凍結という方法によって地下水の流れを遮るこれまでの計画が破綻していることを認めたのだ。

 以前も言及したが、ドイツには、オリンピックのモットーを「より速く、より高く、より強く」の3つだけでなく、「より美しく、より人間らしく」を加えた5つにしようと提唱する人々がいる。
 そのドイツでは、日本の原発事故を契機とし、官民を挙げて脱原発に邁進している。
 電力を買う国民は、いかなる方式によって発電されたのかという情報を得て、電力会社を選択できる。
 それは、〈文明の選択〉に等しい。

 国民が願う方向へと政治が動き、経済も動く。
 ここにこそ、文明の「美しさ」も「人間らしさ」もあるのではなかろうか?
 
 危機を我がことと感じとり、子孫と未来への責任を果たす意識こそ、私たちがこの猛暑から受け取るべき贈りものではなかろうか?
 この世は苦海であると同時に、大日如来に荘厳された密厳国土(ミツゴンコクド)でもある。
 贈りものを見過ごさず、合掌する両手で受けとめたい。 
 




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M
 

 




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