想いの記 ─住職の本音・本心・本気─ 托鉢で始めたお寺です。皆さんと共に「この世の幸せとあの世の安心」のために、学び、実践しましょう。

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究極の個別指導者青木彰氏 ─現代の偉人伝第234話─ 05:19

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〈「ぐっぷの会」様よりお借りして加工しました〉

 ある時、ご縁があって特定非営利活動法人「みんなの教室」を主宰する青木彰氏と対話した。
 教師として勤め上げた氏は、宮城県大崎市田尻において法人を設立し、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、広汎性発達障害など、軽度の発達障害を持った子供たちを支援してきた。
 悲哀の湖から発する霊光のような色合いをたたえた氏の視線は、たとえようもなく勁(ツヨ)い。
 どんな暴風にも消えない灯火のようだ。

 人生相談やご加持(カジ)で、そうしたお子さんや親御さんと接してきた小生は、率直にお訊ねした。
「皆さんの状態が改善されて行くためのポイントはどこにありますか?」
 間髪を入れず、答が返ってきた。
「個別指導です」
 小中高といった伸び盛りの子供たちのうち、6・8パーセントに障害がある。
 40人の教室なら2人以上のお子さんが支援を必要としているが、教師の数にも能力にも限りがあり、学校での個別指導は望むべくもない。
 そこで、退職後に自ら救いの手を差し伸べ始めたという。

「お釈迦様の対機説法(タイキセッポウ)ですね」
 この言葉にも、すぐ、答があった。
シュリハンドクは、十六ラカンの中で、最も多くのお弟子さんがいました。
 彼は発達障害でした」

 学ぶ意思はありながらも、お釈迦様の教えを頭に入れられず、苦しんでいたシュリハンドクへ、お釈迦様は「塵を払わん、垢を除かん」と口ずさみながら掃除をせよと指導した。
 彼はやがて天眼通(テンゲンツウ)という一切衆生(シュジョウ)の過去世を知り尽くす眼力がそなわり、悟った。
 青木氏の目には、子供たち1人1人が障害を抱えるに至った原因も、生きている環境も明らかに見えるのだろう。
 そして、個別の原因と環境がわかれば、それに応じた個別の対処法もわかるのだろう。
 つまり、真の救いは個別にしかもたらされないのだ。

 問題は一般的でも、問題は個々人に千差万別の色合いで現れる。
 一般的対処法だけでは、問題の根を抜くところまでは行けない。
 ある施設で耳にしたお年寄りの言葉である。
「職員さんは、決しておざなりな仕事をしているわけではないが、私の病状や身体の状態をすっかりわかってくれている人はいない。
 だから何でも、通り一遍でしかない。
 病院に連れて行ってもらって、私の身体をわかっている先生に会うのが一番の安心だ」
 それはそうだろうと思いつつ、この世の〈可能〉と〈不可能〉について考えさせられた。

 青木彰氏は、はっきりと旗を掲げておられる。
みんなの教室は、完全な個別指導の形態をとっています。
 教師と生徒がマンツーマンで、子供に合った個人別のカリキュラムを実践し、自分は自分のままでいいと知ってほしいからです。」
 自分の身体を張って、誰かの花を1輪づつ確実に咲かせている。
 生き仏と言えるのではなかろうか。
 




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

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| 現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜 | - | - | posted by hourakuji
Q&A(その29) ネコのように歩く導師? 06:44

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〈み仏の両眼には日輪と月輪が〉

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〈梵字のマ、日輪〉

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〈梵字のタ、月輪〉

 これまで、葬祭会館の方などから幾度もご質問を受けました。
「どうしてご住職はあれほど静かに歩くのですか?」
 答は以下のとおりとなります。

 真言密教の行者は、修行道場であれ、あるいはご葬儀場であれ、修法する道場へ入る際には人知れず、いろいろな観想を行っています。
 たとえば、右の目には梵字のマ、左の目にはタを置きます。
 マは日輪(ニチリン…輝く陽光)、タは月輪(ガチリン…円満な月光)です。
 陽光は智慧の光で真実世界をくまなく照らし、月光は瞑想に入った行者へ悟りの心を開かせます。
 道場内をこの両眼で観ながら静かに入ります。
 心には梵字のウンを置き、金剛薩埵(コンゴウサッタ)というみ仏に成り切っています。
 こういう状態で進む足は一輪づつ、目には見えない蓮華を踏んでいます。
 だから、スリッパを引きずるような音などは決して出さず、肩を揺すって歩くなどということもありません。
 蓮華の花びらを散らさぬよう、足をそっと置くように一歩、一歩と歩むので、正面を向いているご参詣やご参列の皆さんには足音がほとんど聞こえないはずです。

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〈滝田商店様よりお借りして加工しました〉

 もう一つ、よくあるご質問へお答えしておきましょう。
「どうして最初に棒のようなものを振るのですか?」

 実は、以下のとおりの手順で、道場のお清めを行っているのです。
 導師の左側には二つの仏器と、その間に1本の棒が置いてあります。
 手前の仏器には塗香(ヅコウ)という手に塗るためのお香が入っており、着座した導師はまず、蓋を開けてそのお香を両手に塗ります。
 そして護身法を結びます。
 次は、奧にある仏器の蓋を開け、左手に数珠、右手に三鈷杵(サンコショ)という仏具を持って、仏器の中に入っている水を加持(カジ)します。
 この時に、カラン、カランという音が21回、聞こえるはずです。
 数珠に三鈷杵を当て、水を21度、清めています。
 それから散杖(サンジョウ)という棒を水へ入れて回します。
 これは、水を重ねて清め、清浄な乳水に変えているのです。
 それから、散杖の先に水を着け、道場や心を清めるために、横、縦に振ります。
 
 修法を行うには、まず、その場を清めます。
 家庭でも、学校でも、職場でも掃除をするのと同じです。
 そして、目的の修法がきちんと行われるように、導師や善男善女の心も清めます。
 それだけではありません。
 これらが終われば必ず、結界の法を結び、魔もののようなものを一切シャットアウトしてから、ご供養やご祈祷やご葬儀の法を順々に進めます。
 清めと護身法結界の手順を踏まない修法はありません。

 今回は、導師が道場へ入り、お清めを行うあたりまでの大まかな作法について書きました。
 何となく想像していただければありがたいことです。
 




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『プライベートバンカー』を読みましたか? 06:33

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格差を示す指標は「ジニ係数」、0〜1の間で1に近いほど格差が大きくなる。日本は世界のほぼ中位である〉

 午前2時から庫裏で始めた読書が終わり、寺務所へ向かう4時、真っ暗な廊下の向こうから7回、鐘を打つ音が聞こえた。
「コンー、コンー、コンー、コンー、コンー、コンー、コンー」
 一体誰が?
 電灯のスイッチを入れながら考えた。
 歩き始めて気づいた。
 きっと昨日、お預かりしたお焚きあげの行李(コウリ)に古い柱時計が入っていたのだろう。
 職員は相手様もお荷物も確認しているが、ご縁の方から〈いわく因縁〉をお聞かせいただく場合は別として、修法するだけの小生はいちいち中身のチェックをしない。
 それにしても、4時ちょうどに7回鳴るとは、妙な1日になりそうだ。
 今日、人生相談に来られる方々のお話を暗示しているのかも知れない。

 ところで、清武英利氏が書いたノンフィクション『プライベートバンカー』を読み、小生は門外漢ながら、なるほど、そうだろうな、と思えた。
 物語は、富裕層の金融資産を運用するプライベートバンクで生きるバンカーと顧客の世界を描いている。
 金融資産1億円以上を持たない庶民は、そうした銀行に口座も開設できない。
 だから、ほとんどの人々とは無縁の世界だが、組織があり、それを構成する個人個人が希望や悩みを抱え、称賛や満足や失敗や転落に至るという意味では、この世の一場面であることに相違ない。 

 ただし、地球を股に掛ける巨大な歯車が、粛々とこの世に不正義と不条理を積み上げている事実には慄然とさせられる。
 その回転に連なる小さな歯車たちの人生にいかなる個々の夢や正義感があろうと、それらはすべて、一つの結果を生んで行く。
 持てる者と持たざる者との間にある格差の拡大である。
 プライベートバンカーたちの顧客となる持てる者たちは、カネそのものの力でカネを増やし続ける。
 シンガポールなどの国々には、そうしたシステムがあるのだ。
 だから、一定期間シンガポールで暮らすなどして、日本で儲けたカネを無税のまま増やそうとする人々が群がる。

 平成27年、総資産額百万ドル超の資産家は以下のとおりである。
 第一位、アメリカ、1565万人。
 第二位、イギリス、236万人。
 第三位、日本、212万人。

 一方、9月15日付の河北新報は、厚生労働省が発表した平成25年の調査結果を掲載した。
 世帯ごとの所得格差は過去最大となり、今後もその拡大が予想されるため、「社会保障などによる所得再分配の機能強化や、非正規労働者の賃金底上げなどの格差対策が求められる」という。
 世帯ごとの平均所得は400万円を切った。
 つつましく生きる庶民から確実に集められた税金でこの国は成り立っている。
 その一方で、儲けた一部の富裕層は資産を海外へ移しつつある。
 パナマ文書は、国家の体制を問わず世界中の富裕層が無税の国へと財産を移し替え、移住もしているという事実の一部をかいま見せた。
 しかし、巨大な不正義はうやむやにされる。
 

タックスヘイブンをめぐって大掛かりな税逃れが発覚するたびに、為政者たちは眉をひそめてみせるが、租税回避地の存在を根本から問う議論になったことがない。
 その地を利用する国と金融機関、それに権力者の存在があるからだ。」


 私たちは一人残らずどこかの国民として生まれ、人間として生きられる環境の整備を目指すどこかの国家で暮らす。
 環境整備の基礎となる税金を払いつつ。
 しかし、一部富裕層は、どこかの国で手に入れた大金を持ったまま地球の「修身旅行者」となり、カネだけを頼りに暮らそうとする。
 無論、彼らにも悲哀があるのは、持たざる人間と何ら変わりはしない。
 

「問題は、修身旅行者になると、犯罪の多い国では自分の身は自分で守らねばならないことだ。
 そして真の友人をみつけづらいことである。」

 
 この本は帯紙にあるとおり、「怜悧で狡猾というプライベートバンカー像を覆して、人間味と向上心にあふれた人々」を描いている。
 人間はどこでも「人間味と向上心」にあふれた日々を送られる。
 それは、ナチスのホロコーストや毛沢東の文化大革命においてすらそうだった。
 しかし私たちは、人類的不正義を行う巨大な歯車を見つけ、たとえ「蟷螂(トウロウ…カマキリ)の斧」に見えようと対峙する見識と矜恃を持たねばならないと思う。
 タダでは踏みつぶされないという強固な背骨を保ち続けたい。
 そして、踏みつぶされそうになっている隣人は見捨てたくない。
 無論、歯車へ何らかの一矢を放ってから死にたい。
 




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| 【解説】この世の幸せ | - | - | posted by hourakuji
お大師様はお不動様 07:27

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 9月17日、第二例祭護摩法が終了した後、ご参詣の方々へ短い法話を行った。

 密教行者の究極的関心事は、お大師様が入定(ニュウジョウ…瞑想状態のまま他界すること)されたご心境にある。
 もちろん、各種の資料は、〈その日〉を知ったお大師様が京の都と高野山を往復するなど入念に準備し、「弥勒菩薩(ミロクボサツ)の浄土から見ているのでしっかり励め」と言い遺されたことを示している。
 それにしても、最後のお心は……。
 凡夫にはわかりようがない、とあきらめてしまえばそれまでだが、行の果てにあるイメージは、そこにありそうでもつかめない。

 鎌倉時代、最初の東寺座主(ザス)となった真光院禅助(ゼンジョ)は、その秘密について言い遺した。
 

「不動の三摩地(サンマジ)に入り給うなり。
 右の杵(ショ)はこれ剣なり、左の数珠は索(サク)なり」


 三摩地はサマーディであり、心が深まりきった状態をさす。
 つまり、お大師様は、お不動様のご心境に成り切ったのだと言う。
 お大師様が右手に持っている五鈷杵(ゴコショ)は先端が尖っており、元々はインドの武器だった。
 それは、お不動様が右手に持っている剣を意味する。
 また、お大師様が左手に持っている数珠は、お不動様が左手に持っている索を意味する。
 お大師様は常々、お不動様のお気持ちではたらかれ、そのまま旅立たれたのだ。
 そういえば小生も入門早々、指導された。
「人々の僕(シモベ)である不動明王を目ざしなさい」

 そもそも、お不動様はお大師様によって日本へ招来された。
 唐から帰国する途中、暴風雨の海上でお不動様に船を守っていただいて以来、大日如来の使者である不動明王は、修法の中心となった。
 密教行者は365日、不動法を結ぶ。
 護身法と不動結界法は、あらゆる修法に欠かせない。

 後宇多上皇に密教を授け、後醍醐天皇の護持僧でもあった禅助は、さすが国師と称されただけのことはある。
 84才という当時では桁外れの長寿をまっとう切るその瞬間、きっと、師と同じく不動明王の世界へ入り、弥勒菩薩の浄土を目ざされたことだろう。
 ご関心のある方は、お不動様のお姿とお大師様のお姿を見比べて欲しい。
 鎌倉時代に説き明かされた真実に度肝を抜かれることだろう。
 




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「おん あらはしゃのう」
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| 【解説】この世の幸せ | - | - | posted by hourakuji
ペットは家族、友 05:39

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 雨の晴れ間を待っていたかのように陽光が満ちた秋晴れの日、Aさんご夫婦がネコの十三回忌供養にご来山された。
 三回忌以来、ご遺骨と10年ぶりの再会となった。
 ねんごろに供養し、廻向之証をお渡しする。
 安心されたご様子に、こちらの気持も柔らかくなる。
 いつの日か、ネコと一緒のおを建てたいという。
 当山ではペットと一緒に眠る方がどんどん増えている。
 人間のおにお線香をあげ、ペットのおにもお線香をあげる。
 あるいは、ペットの命日に人間のおもお参りされる。
 生きとし生けるもの同士として、人間もペットも何ら変わりはない。

 思えば、私たち生きものは、天地自然が持つ造化のシステムと力の中で生まれ、死んで行く。
 これがモノとしての側面。
 同時に私たちは、どこからか来た者として存在し、死後もまたどこかへ行く。
 お大師様は説かれた。
「行行(ギョウギョウ)として円寂(エンジャク)に至り、去去(ココ)として原初に入る」
 人生上の重大事にぶつかり、どうにもならない呻きの中で真言仏界のイメージに導かれ、一心に行ずる時、心の行く先が感得される。
 すべてが因果の理において円満し、心が輪廻転生(リンネテンショウ)の中を貫いている真実にうたれる。
 私たちが〈在る〉ということの根源へと心が深まり、母なる仏界に抱かれる。
 これが心としての側面である。
 私たちは肉体としてのモノであり、同時に心としては、モノと違う原理で存在している。
 もちろん、二つは交わらない2本のレールではなく、互いに互いへ影響し合っている。
 二つが微妙に関わるところに運命も、意思も、修行も躍動する。

 当山ではペットに関する修法において呼びかける。
「あなたは家族、あなたは
 人間でない家族、人間でないは、人間とは何者か?生きものとは何か?と問わせ、答も教えてくれる。
 都市の文明はどんどん自然から離れ、自然を忘れさせもするが、ペットはその危うさに気づかせ、心の乾燥を緩和してもくれる。
 やはり、かけがえのない家族であり、である。
 




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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| ペット葬と供養について | - | - | posted by hourakuji
いじめ撲滅 05:29

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〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

 9月15日付の朝日新聞は「校内に響く『いじめ反対』」を掲載した。
 東京都足立区立辰沼小学校の子供たちが、いじめ防止に立ち上がり、毎日、校内で呼びかけ活動を行っているという。
 パトロールのリーダーが、かけ声を発する。
「みんなで、いじめを、なくしましょう」。
 後に続く隊員が応ずる。
「いじめを、しない、させない、ゆるさな〜い」。

 平成23年、大津市で起こったいじめ自殺事件を機に、仲野繁校長と児童会役員らが対策を話し合い、「解決」より「未然防止」を目ざそうといういことになり、翌年、「辰沼キッズレスキュー」(TKR)が誕生した。
 組織は入会も脱会も自由、現在は全校児童447人のうち、254人が隊員の登録を行っている。
 毎日、2時間目と3時間目の間の休み時間に、隊を持ち鉢巻姿となった隊員が、交代で校内を練り歩く。
 放課後の会議もあり、縄跳び選手権や一発芸の選手権などを企画してきた。
「学校が楽しくなれば、だれかをいじめたい気持ちは薄れる」

 治療よりも予防をやろうという姿はすばらしい。
 しかも、活動は毎日である。
 仙台市周辺のピンクチラシ撲滅運動を思い出した。

 平成10年、東北随一の繁華街国分町を中心とした地域に蔓延していた悪名高いピンクチラシを撲滅すべく、宮城県社交飲食業生活衛生同業組合(理事長上村孝氏)が立ち上がった。
 4年間、毎月欠かさず行った「国分町環境浄化デー」のデモ行進とチラシ回収運動が功を奏し、全国初となった「宮城県ピンクチラシ根絶条例」の制定、歓楽街としては歌舞伎町に次ぐ防犯カメラの設置など、一つ一つ成果を積み重ね、平成17年、ついにチラシはなくなった。
 20年戦争と言われた戦いは7年で終結した。
 組合員が一致団結し、チラシの背景にある暴力団の存在、チラシを撒くしか生きようのなくなった人々の生活など、表面に出ないさまざまな問題に粘り強く取り組んだ活動が高く評価され、平成26年、上村孝氏は旭日双光章を受賞した。

 辰沼キッズレスキューの運動にも、さまざまな困難が降りかかってきていることだろう。
 事実、昨年度、同校が把握したいじめの数は28件あり、運動開始以前よりも増えている。
 しかし、仲野繁校長は言う。
「いじめの『芽』のうちに見つけてしまう」ので「深刻なケースは起きていない」。
 子供たちが生活する環境の空気が変われば必ず、子供たちの心も変わる。
 環境と心は鏡が照らし合うように互いの世界を映し出し、互いの世界に影響を与え合う。
 すでに、子供たちは立ち上がり、心が変わった。
 環境である学校の姿が変わらないはずはない。

 何としても、いじめの撲滅という理想を降ろさないで欲しい。
 にかける生き方の体験は、を手にした子供たちの人生を後押ししてくれることだろう。
 小学生の頃、小生はクラスの歌を作り、合唱した。
 先生も仲間もあまりにすばらしく、和を失いたくないと思ったからだ。
 数年前、恩師が他界し、ご自宅でお線香を捧げた。
 運転してくれたのは仲間の一人、講演会にもときおり、仲間が来てくれる。
 共に掲げた心のは半世紀以上経っても、降ろされてはいない。
 
 小生の当時とはまったく比較にならぬほど困難な活動だろうし、やっかみや妨害なども経験するだろうが、あきらめずに続けて欲しい。
 子供たちと日本の未来のため、山里から応援の祈りを続けたい。
 




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| 【解説】この世の幸せ | - | - | posted by hourakuji
この世の家族はあの世でも…… 07:27

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 ご葬儀の際、最後の法話までが導師の法務と心得、法話が終わり会場を後にしてから、喪主様のご挨拶となる流れが多かった。
 しかし、ある時、喪主のご挨拶後に導師の席を立つよう要請され、久方ぶりに座ったまま、お話を聴いた。
 内容には圧倒された。

「母はあの世へ旅立ちましたが、これで家族がなくなったわけではありません。
 母は私たちより一歩先にこの世から離れただけのことです。
 やがて私たちも次々に行くので、またを結び、あの世で楽しく暮らしたいと思います。
 その日のために、この世で導いてもらったとおり、あの世から見ている母に恥ずかしくない生き方をしようと思っています。」

 この方が仏教徒かどうかは知らないが、ご一家はキリスト教徒でなく、生前の故人共々、当山の法務に納得して墓地を求め、仏教によるお別れをされた。
 これまで幾度か、お会いした印象からすれば、喪主様の言葉は特殊なドグマなどを信じてのお話ではなく、自然な感覚をそのまま口にされたのであろうと思う。
 要は、人は死んでも無にならず何かが残り、この世で家族となった縁は、家族の死によって消えないと感じておられるのだ。
 だからこそ、お墓を造り、お参りをする。
 親の導きや戒めは、親が亡くなれば消えるのではない。
 新たに与えられることはなくなるので、子供としてはいっそう、大切にして行かねばならないものとなる。

 人倫とはこのことの謂いではなかろうか。
 白川静著『字通』によれば、「侖は相次第して、全体が一の秩序をなす状態のもの」である。
 また、「輩(トモガラ)」であり、「道」でもある。
 だから「倫」は一字だけで人倫を意味する。
 とすれば、人倫の根本には〈連なりの意識〉がなければならない。

 さて、9月14日付の産経新聞は「特権階級が社会を牛耳る」と題して、中国の農村部で根付く読書無用論について書いた。
 

「『勉強する必要はない』という『読書無用論』は、農村部を中心に今も大きな支持を得ている。
 中国青年報が2014年、四川省の雲郷雍村で行った調査では、村の262世帯の約4割に当たる106世帯が子供を学校に行かせる必要はないと考えていた。
『字を知らなくても金は稼げる』『教育費が高すぎる』などの理由からだという。」


 この風潮は悪名高い毛沢東の文化大革命から広まった。
 

「最高指導者の毛沢東自身が読書家であるにもかかわらず知識人を嫌い、68年には小中学校を含めて『授業を中止して全身全霊で革命に尽くせ』と呼びかけた。」


 人々から、ものごとを鵜呑みにせず自分で考える力を奪い、一つの思想で染めて統治しやすくした。
 

「文革期の読書無用論は、党中央が推進する政策や、党幹部の特権などに異論を差し挟む知識人を打倒し、物事を考える力を奪う『愚民政策』の一環だったと指摘される。
 現代の農村部とは事情が異なるように思えるが、『本質は全く同じだ』との指摘もある。
 『文革期、中国を動かしたのは優秀な人材ではなく、特権を持った人々だった』。
 北京のある文化人はそう前置きした上で、次のように語った。
 『最近は、元高官の二世などの特権階級に社会が再び牛耳られるようになった。
 庶民は努力しても報われることが極端に少なくなった。
 特に農村部の保護者たちは、子供に勉強させること自体がバカらしくなっている』。」


 このとおりだとすれば、中国の指導部は、国民を二分しようとしていることになる。
 特権階級と、それ以外の人々だ。
 文化大革命では分断策により、家族関係や師弟関係などを問わず凄まじい密告・暴力・虐待・殺人などが起こっただけでなく、暴風がおさまった後も、被害者の自殺、加害者の罪悪感、生き残った人々のPTSD(心的外傷後ストレス障害)など、広汎な人間性の破壊が行われた。
 明らかに、〈連なりの意識〉が家庭からも、社会からも奪われたのだ。

 ひるがえって日本を眺めてみればどうか?
 確かに「」が叫ばれてはいる。
 しかし、それは主として空間的に、言わば〈横に広がるもの〉として、とらえられているように思われる。 
 手をつなぐ意識である。
 無論、それはそれで結構だ。
 しかし、私たちの文化はそもそも時間的に、言わば〈縦に連なるもの〉として紡がれてきたのではなかったか?
 お祭りなどの行事であれ、学問であれ、技術であれ、各種の芸能であれ、もちろん宗教であれ。
 そして、神棚も仏壇もお墓も、特に言挙(コトア)げするまでもなく、切れるはずのないを象徴するものだった。
 江戸時代までは、こうした空間的なと時間的なのバランスがよかったのではなかろうか?
 そこを見抜いたからこそ、故杉浦日向子はこう言ったのではなかったか?
 

「江戸時代は、自分と他者の境界線がものすごく曖昧で、融通し合っていた。
 その辺から、パワーなり、エネルギーなりが生まれていた。」
「250年続いた泰平の世は、言うならば、低生産、低消費、低成長の長期安定社会。」


 時間的に縦に連なるものに懸ける者同士として、空間的に横に連なるのは当然であり、そこに文化の創造性があると説いたのが故三島由紀夫だった。
 彼はたった一人で東大へ出かけ、約千人の学生を相手に2時間、討論した。
 議論の中心は時間と空間の問題だったように思われる。

 個人主義が膨れ上がり、極端な消費社会になり、緊張と不安と競争に明け暮れる私たちは、〈連なりの意識〉を忘れつつあるのではなかろうか?
 横にを求める一方で、家族や先祖などとの自ずから与えられている縦の絆を、あまりにも脇へ追いやってきたのではなかろうか?
 冒頭に挙げた喪主様の言葉には、風潮に流されない人、自然に絆を育ててきた人の明晰で強靱な自覚がある。
 救われている方に救われる思いだった。
 そうそう、今後はなるべく喪主様のご挨拶をお聴きしてから退場しようと思う。合掌
 




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 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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| 日想 | - | - | posted by hourakuji
なぜ救われるか? 07:23

 お大師様は説かれた。
 

「もし自心を知るはすなわち仏心を知るなり
 仏心を知るはすなわち衆生の心を知るなり
 三心平等なりと知るをすなわち大覚(ダイカク)となづく」


(もし、自分自身の心の真姿を知るならば、それはそのまま、み仏のお心を知ったことになる
 み仏のお心を知るならば、それはそのまま、人々の心を知ったことになる
 自分自身の心と、み仏のお心と、人々の心の3つをつぶさに知る人を、大いなる覚りを開いた方という)

 自心仏心衆生心が平等であるという教えは、すでに『華厳経』で説かれている。
 華厳宗を高く評価されたお大師様は、この平等を得る方法として具体的な修法を示された。
 私たちはそもそも、み仏のお心を宿した者同士であり、そこに気づき、そこを開き、顕せば、み仏に成れる。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)の可能性はすべての人々に与えられている。
 真の平等は、この気づきによってもたらされ、自分が本来の尊さをもって生きられるだけでなく、誰もが尊い者として生きられる世界になる。

 私たちは生まれた時点で、一人一人が持って生まれたものも、生まれ育つ環境もすでに平等ではない。
 しかし、厳格な階級社会にあってすら、お釈迦様は、人は生まれによって人間としての貴賤は決まらず、生き方が貴賤を決めると説かれた。
 国王に対しても、極貧の者や売春婦に対しても、わけへだてせず、真に救われる先を示された。
 仏法によって誰もが救われ得るのは、誰もが等しく救われる可能性を持っているからである。
 その可能性の根拠が〈仏心〉の共有である。
 この真実は経典に説かれ、それを現実化させる方法として修行や修法がある。

 当山にはさまざまな事情を抱えた方々が来山される。
 これまで宗教を考えたこともなかったが、急に自分のいのちがあといくばくもないことを知って、死後の相談に駆け込まれる。
 困った成り行きで親のお骨を埋葬できなくなった方、あるいは宗教が違う親子や夫婦も、途方に暮れて足を運ばれる。
 私たちの生きざまや困りごとは、お釈迦様の時代も、お大師様の時代も、今も変わらないのだろうと、いつも思う。
 僧侶や寺院は、お釈迦様やお大師様の心で〈絶対の平等〉に立ち、ことに当たるだけだ。

 それを仏性と言おうが霊性と言おうが構わない。
 要は、お互いが、お互いの心の源底に持っている尊いものを認め合うこと。
 そこから〈真の平等〉の世界が必ず観えてくる。
 ことを行う具体的な手段は知恵であみ出せばよい。
 問題はその前の平等を観る智慧にある。
 仏法の空気を吸うだけでも、冒頭の教えに一歩、近づける。
 救いの扉は皆さんのそばにある。
 




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| 【解説】この世の幸せ | - | - | posted by hourakuji
爆弾を捨てに行った警察官ハミード・アルマーニ氏 ─現代の偉人伝第232話─ 06:10

2016-09-13-0001.jpg
〈産経新聞様よりお借りして加工しました〉

 パトカーへ爆弾らしいものを投げ込まれた警察官が、逃げ出さず、遠くまで運んで人々を救おうとした。
 にわかには信じがたい行動である。
 以下、9月11日付の産経新聞から転記した。
 

【米中枢同時テロから15年 市民守るアフガン移民の警官がNYのヒーローに】 

 米中枢同時テロの発生から11日で15年を迎えるニューヨークで、アフガニスタンから移民したイスラム教徒の警察官が「街のヒーロー」と称賛を浴びている。
 今夏、爆弾にみせかけた不審物がパトカーに投げ込まれたが、市民を巻き込まないために死を覚悟で避難させた。
 同時テロ後に広まったイスラムフォビア(イスラム恐怖症)が大統領選でも物議を醸す中、アフガン移民の警官の勇気ある行動は、ニューヨーカーの心を捉えている。
 この警官は、ニューヨーク市警のハミード・アルマーニさん(37)。
 7月20日夜、繁華街のタイムズスクエアでパトカーに不審物が投げ込まれ、同僚の警官が「爆弾だ」と叫び、とっさに考えたのは「周囲の数千人もの市民を巻き込んではいけない」。
 自分は犠牲になるつもりで人通りの少ない場所までパトカーを移動させた。
 不審物は爆弾ではないことが後に判明したが、この行動がメディアで伝えられると、アルマーニさんら2人の元に感謝のメッセージが殺到。
 勤務中、10分おきに記念撮影を求められるほどの人気者となった。
 
 アルマーニさんはニューヨーク市警で唯一のアフガン生まれの警官だという。
 2000年にニューヨークに渡り、翌年に同時テロが起きた。
「人種や宗教が何であれ、罪のない人々が殺害されるのは最も悲しい」。
 思いが重なったのは、戦争で疲弊していたアフガンでの暮らしだった。
「アフガンでは通りを歩くことも安全ではなかった。警察が助けてくれる場所に住みたかった」。
 故郷での日々と同時テロの経験から「人の命を助ける職業に就きたい」と願うようになり、05年にニューヨーク市警の警官となった。
 ニューヨークでの生活でイスラム教徒への偏見や差別は「終わることはない」が、「人々に話しかけて理解してもらえば、印象は変わってくる」と強調した。
 12歳の女児を持つシングルファーザーは「私はヒーローではない。ただ、一人の警官として感謝されるのはうれしい」と照れながら語った。


 同じ紙面に、テロを企てた女性のグループが摘発されたという記事が載っている。
 フランスでのできごとだ。
 これも転載しておきたい。
 

【パリでテロ計画、ISが女グループに指示 検察が摘発】

 パリのノートルダム大聖堂付近でガスボンベを積んだ不審車が見つかった事件で、フランス検察は9日、テロを計画した女中心のグループを摘発したと発表した。
 女らがシリアのイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)メンバーから指示を受けていたことも明らかにした。
 事件は大聖堂付近で4日未明、ガスが充填されたボンベ5個を積んだ放置車両から可燃性の液体の瓶やたばこの吸い殻が見つかったのが発端。
 当局は、車両ごと爆発させる計画だったとみて現在、7人を拘束中。

 このうち15〜39歳の女5人が計画の中心メンバーとされ、19歳の女は車両の所有者の娘。
 過去にシリア渡航を図り、情報機関の監視対象だった。
 所持していたカバンからISへの忠誠を誓った文書が見つかった。
 また、23歳の女は6月のパリ郊外での警察幹部殺害容疑者の男の婚約者で、容疑者が事件で射殺後、7月に仏北部で発生した教会襲撃事件の容疑者の男と婚約していた。 両事件ともISが犯行声明を出した。
 モラン検事は記者会見で「テロ組織は男だけではなく、若い女までも利用している」と強調した。


 自分のいのちを捨てても人々を救おうとする人がいる一方で、自分のいのちを捨ててまで人々を殺そうとする人もいる……。
 ──自分のいのちに執着せず、死を厭わない人々。
 死の恐怖をどう超越するかによって、行動は天と地の違いになる。
 もっと淡々とその向こうへ行った人もいる。
 お釈迦様の弟子ウハセンナだ。
 
 彼は、王舎城に近い森林の洞窟で瞑想するのを日課としていた。
 ある時、何かが身体を這い、咬みついたことに気づいた。
 それは、咬まれたら助からない毒蛇だった。
 ここで死ねば皆に迷惑がかかると考えた彼は、修行仲間の舎利弗(シャリホツ)を呼んで、洞窟から出してもらうように頼む。
 舎利弗は彼の顔色がちっとも変わっていないことに驚いて、本当に咬まれたのかと訊ねる。
 彼は平然と答える。
 

舎利弗さん。
 この人間の身体は四大(シダイ…地・水・火・風)の集まりで出来た塵芥にすぎないのではありませんか。
 私とか、私のものとか云ふ考えからはなれてゐる私達は、本来空(クウ)なのですから、空なものが毒蛇に噛まれたって、顔色が変わるわけはないでせう。」(武者小路実篤著『釈迦』より)


 仲間の手で巌窟から出された彼は、毒が回っても瞑想したまま何も語らず、従容として涅槃(ネハン)に入った。
 お釈迦様も彼の死に打たれたという。

 私たちはこの世をどう観ているのだろう。
 自分のいのち、他人のいのち、生きとし生けるもののいのちをどう考えているのだろう。
 死生観、人生観によって、生き方も死に方も千差万別だ。 
 8月6日号『週刊ダイヤモンド』の調査発表によれば、3分の2近い人々が「自分の死」を考えたことがある一方で、「死生観」を持っている人は1割もいない。
 ハミード・アルマーニ氏、女性テロリストたち、ウハセンナは、そんな私たちを立ち止まらせる。
 しっかり立ち止まり、どう生き、どう死ぬか、自分自身の頭で考えたい。
 




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| 現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜 | - | - | posted by hourakuji
病院から抜け出した魂 05:16

2016-09-12-0001.jpg

〈「唱歌を唄う会」でご指導いただいた小山裕之先生〉

 秋晴れのある日、母親と娘さんがおの引き渡しを受けに来られた。
 ご一家で考えに考えた理想のおがようやく完成し、母娘は笑顔だった。
 それから小一時間ばかり経って、寺務所へ電話が入った。
 お父さんが亡くなられたので枕経を頼むという。
 職員共々、驚いた。

 ご自宅へ駆けつけ、枕経の終了後、成り行きをお聴きした。
 病院で付き添っていた母娘は、数日前から悪化した各種の数値は気になるものの、引き渡しの約束をしていたので、当山へ向かった。
 思い通りのおを確認して間もなく、病院から至急、戻って欲しいと連絡が入った。
 まさかと思いつつ急ぐ途中で訃報を聞いた。
 厳しい闘病生活が続いていたにもかかわらず、お父さんは文字どおり眠っているようにしか見えなかったという。

「きっと、お父さん、一緒におを見に行って安心したんだよ」

 東京から駆けつけた妹が言うと、誰もが目に光を取り戻し、静かな笑顔になった。
 母親を車に乗せておを受け取りに向かった長女も急いで応える。

「きっとそうよ。
 毎日、付き添っていたのに、お母さんと一緒に病院のベッドを離れる時も、全然、心配しなかったよね。
 自分でおのスケッチを描いたりしたお父さんだから、私たちについて来て安心したんだね」

 みんなの視線があたらめて横たわるお父さんに集まり、厳粛な和らぎが居間に満ちた。
 本当にそう思う。
 住む家が完成して安心しない人がいようか。
 お父さんのあだ名は「観音様」だったという。
 




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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| 【解説】あの世の安心 | - | - | posted by hourakuji
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