<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>大師山 法楽寺　想いの記</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/" /><modified>2008-08-21T18:42:48+09:00</modified><tagline>　法灯により法友とともに法楽に住せん</tagline><generator url="http://jugem.cc/">JUGEM</generator><entry><title>ブログの移動</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=581828" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=581828</id><issued>2010-08-20T17:18:15+09:00</issued><modified>2007-11-21T08:39:14Z</modified><created>2010-08-20T08:18:15Z</created><summary>　諸般の事情により、長いことお世話になった「ロリポブログ」から「ＦＣ２」ヘ移動となりました。
　今後は、そちらをご覧いただければ幸甚です。合掌

FC2ブログはこちらです。
http://hourakuji.blog115.fc2.com/</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>お知らせ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　諸般の事情により、長いことお世話になった「ロリポブログ」から「<a href="http://hourakuji.blog115.fc2.com/" target="_blank">ＦＣ２</a>」ヘ移動となりました。<br />
　今後は、そちらをご覧いただければ幸甚です。合掌<br />
<br />
FC2ブログはこちらです。<br />
<a href="http://hourakuji.blog115.fc2.com/" target="_blank">http://hourakuji.blog115.fc2.com/</a>]]></content></entry><entry><title>ほんのひとこと</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=555171" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=555171</id><issued>2010-01-01T01:01:01+09:00</issued><modified>2007-06-03T08:52:24Z</modified><created>2009-12-31T16:01:01Z</created><summary>　
[:マル秘:]当ブログでは、皆さんのためになればと考えて体験した事例をご紹介する場合、ご了解をいただかない限り、特定の方に起こった特定のできごとであると判らぬよう、内容を変えるなど細心の注意をはらって文章化しており、決してプライバシーの侵害はいたしません...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　<br />
[:マル秘:]<span style="font-size:x-small;"><em>当ブログでは、皆さんのためになればと考えて体験した事例をご紹介する場合、ご了解をいただかない限り、特定の方に起こった特定のできごとであると判らぬよう、内容を変えるなど細心の注意をはらって文章化しており、決してプライバシーの侵害はいたしませんので、ご安心ください。</em></span>[:楽しい:]]]></content></entry><entry><title>ほめる　６</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=676081" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=676081</id><issued>2008-08-21T18:42:27+09:00</issued><modified>2008-08-21T09:42:27Z</modified><created>2008-08-21T09:42:27Z</created><summary>　かつてＯ小学校で行われていた校長先生と児童との手紙「ほめほめ便り」による交流をまとめた『ほめほめ集』からの抜粋です。
　このページを作るのが大変だろうと、篤信の方がわざわざメールで送ってくださいました。
　頭が下がります。
　勉強会などを通じて、ご縁の方々...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>寺子屋だより</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　かつてＯ小学校で行われていた校長先生と児童との手紙「ほめほめ便り」による交流をまとめた『ほめほめ集』からの抜粋です。<br />
　このページを作るのが大変だろうと、篤信の方がわざわざメールで送ってくださいました。<br />
　頭が下がります。<br />
　勉強会などを通じて、ご縁の方々へご紹介しており、寺子屋の指針にさせていただきたいと願ってもいます。　<br />
<blockquote>二年　Ｍ・Ｏ<br />
　<br />
　３月２３日の朝、いっぽ足を　だそうとしたら、車がきました。とおるまで、まっていると、車にのっていた人が、あたまをふってくれました。<br />
　あとから、どうしてあたまを　ふってくれたのかなと、考えたら、「ありがとう」といういみだとわかりました。<br />
　やさしい　おじさんだと　思いました。<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　◆<br />
<br />
　まさ子さん、<br />
　きょうも　また、ほめほめ　ありがとうね。だんだん字が　きれいになるので、校長先生は、うれしいよ。<br />
　学校にくるときのことですね。どうろを、よこぎろうとしたら、車がきたのね。あぶないので　車がとおりすぎるまで、まっていたんですね。そうしたら、車のおじさんが、あたまをふって「ありがとう」をしてくれたんですね。<br />
　まさ子さんが、とまってまってあげたから、車のおじさんが、よろこんで、おれいをいってくださったんですよね。<br />
　よいことをしましたね。むりをして、みちをよこぎると、大へんなことになります。<br />
　これからも、こうつうのきまりを　よくまもって、学校にきたり、おうちにかえったりしてくださいね。</blockquote><br />
　歩行者が待っていてくれたからといって「ありがとう」のシグナルを発する運転手は、きっと、まれに見る好人物なのでしょう。<br />
　まさ子ちゃんは危ないから車道へ出ないだけだったので、何のことか解らなかったのは当然です。<br />
　やがて気づいて、見知らぬおじさんの優しさを知りました。<br />
　相手の「ありがとう」に対して「優しい人だな」と思ってほのぼのした気持になる、この体験が貴重です。<br />
　次は、自分が「ありがとう」を発することによって相手がほのぼのした気持でニッコリし、それを受けて自分もまたほのぼのした気持になる体験が待っていることでしょう。<br />
「ありがとう」は、実に、こうした温かい気持の交流を起こす最高の言葉です。<br />
<br />
　宮床の子供たちは、渡らせてあげようと思って車が止まると、歩道を渡りきってから必ず振り向いて会釈してくれます。<br />
　それも、割合大声の「ありがとうございました！」を伴っています。<br />
　この「ありがとうございました！」は、宮床に住む者の誇りと思っています。<br />
　全国津々浦々の子供たちにこうした習慣がつけば、きっと、世の中は徐々に変わることでしょう。　　　　　　　　<br />
<blockquote>三年　Ｎ・Ｋ<br />
<br />
　きのう本通りの方へいきました。と中、男の人が、赤ちゃんをだいて乗りました。バスがこんでて、すわることができなかったので、赤ちゃんをかた手にだいて、つりかわを持っていたので、とてもたいへんそうだな。と思っていました。するととなりにすわっていた女の人が、席をゆずってあげました。そのとき、校長先生が「いいことをしたら、いいことをされた人も、した人も、いい気持ちになるんだよ。」と、おっしゃったのを思い出して、「あの女の人も、男の人も、いい気持ちになったんだろうな。」と思いました。<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　◆<br />
<br />
　直子さん、<br />
すばらしい字のほめほめですね。きれいな字のお手紙は、読む人の心を楽しいものにしてくれます。おかげで、きょうのほめほめが二倍楽しいものになりました。<br />
　きょうのほめほめは、バスの中でのことでしたね。満員のバスの中で、赤ちゃんをかた手にだいて、しっかりとつりかわをにぎっていらっしゃった男の人に、近くにすわっていらっしゃった女の人が、席をゆずってあげていたといういみのお手紙でしたね。<br />
　かわいい赤ちゃんをだいて、両足をふんばりながら、一本のつりかわを力いっぱいにぎりしめていらっしゃる男の人のようすが、目に見えるようです。<br />
　やさしい女の人がいらっしゃってよかったと、校長先生は　ほっとしました。<br />
　Ｏ小の、ほめほめの心は、この女の人のように、よいと思ったことを、強い心で実行する人になりましょうということです。直子さんも　がんばってね。</blockquote>　こうして子供たちは社会を見ているんですね。<br />
　もし、誰も席を譲る人がいなかったなら、直子ちゃんはどうなったのでしょうか。<br />
　きっと、やるせない、悲しい、辛い気持になったことでしょう。<br />
　がっかりしたかも知れません。<br />
　席を譲った人の行為は、その人が布施行によって善業を積み、福徳を得る原因をつくっただけでなく、見知らぬ直子ちゃんの心にも大きな影響を与えました。<br />
「いい気持ちになったんだろうな」と想像することは、自分も同じ行為ができる人間になるための第一歩だからです。<br />
　きっと、直子ちゃんの心では、善行を実践するための準備が進んでいることでしょう。<br />
<br />
　校長先生の「よいと思ったことを、強い心で実行する人になりましょう」には信念がこもっています。<br />
　ご自身がこうした心で生きておられればこそ、はっきりと指導できるのでしょう。<br />
　善き人が善き人を創るという尊い成り行きが明らかになっており、合掌したくなります。<br />
　校長先生のように生き抜きたいものです。 ]]></content></entry><entry><title>９月の俳句</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=675801" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=675801</id><issued>2008-08-20T07:08:17+09:00</issued><modified>2008-08-19T22:08:17Z</modified><created>2008-08-19T22:08:17Z</created><summary>　９月は長月です。
　俳人で信徒総代でもある鈴木悦子さん（仙台市太白区在住）の句です。
　鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって投稿しておられます。（掲載が月遅れになる場合があります）
公園の彫像もっとも灼けてをり
　カンカン照りの...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>俳句</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　９月は長月です。<br />
　俳人で信徒総代でもある鈴木悦子さん（仙台市太白区在住）の句です。<br />
　鈴木さんは、機関誌『法楽』と新聞『法楽かわら版』へ何年にもわたって投稿しておられます。（掲載が月遅れになる場合があります）<br />
<blockquote>公園の彫像もっとも灼けてをり</blockquote><br />
　カンカン照りの中を歩いて行くと、公園に建つ彫像が目にとまった。<br />
　彼はじっとして動かない。<br />
　陽射しを一身に受けているかのようだ。<br />
　私たちは「ああ、暑い」と口に出して汗を拭う。<br />
　だからといって暑さが去るわけではないが、気持に一区切りがつき、また、歩める。<br />
　しかし、彼にはそれが許されない。<br />
　ただただ灼けているだけである。<br />
　作者は「大変ねえ」とつぶやいたのだろうか。<br />
<blockquote>汗の帽ひょいとあづけし樹下蔭（コシタカゲ）</blockquote><br />
　日照から頭を守ろうとかぶっていた帽子の内側はもう汗だらけだ。<br />
　ふと見つけた樹木の下へ入り、帽子を小枝にひっかけて一休みする。<br />
　頭にかぶさっていた熱気がたちまちに去った。<br />
　読者にも心地よさが伝わってくる。<br />
　「ひょいと」に「ああ、良かった」が隠れている。<br />
<blockquote>人どっと汗どっと噴く七夕祭</blockquote><br />
　人通りが多い場所へでかけると、頭の上は七夕飾り、周りは「どっと」集まった人の海。<br />
　そのうねりを見ただけで汗が噴きだす。<br />
<blockquote>はびこりしへそかづらや世はデフレ</blockquote><br />
「へそかづら」は、時期によって強い臭いを発するところからこう呼ばれているが、細長い釣り鐘のような小さな花は微笑ましい。<br />
　しかし、作者は、「はびこりし」に断罪の気持を込めている。<br />
　ところ構わず鶴を伸ばして勢力範囲を広げ、内へ不快な臭みを抱えている植物を政治家に喩えたのではなかろうか。<br />
「戦後最大の景気拡大！」のうたい文句にはカラクリがあり、お祭り騒ぎをしている間に国民の多くが生活を苦しくしてしまった。<br />
　怠けたのではない、一部に富が集中し、多くの人を窮乏させるシステムができていたのである。<br />
　日本はＧ７の仲間入りをして世界の指導者ぶってはいるが、過去十年間で、このグループのうち六カ国が国民総生産を平均五十パーセント以上伸ばしたのに、日本だけが伸びていない。<br />
「世はデフレ」には、庶民の財布が寂しくなった事情が込められている。<br />
<blockquote>寝苦しき夜をつんざく梅雨の雷</blockquote><br />
　蒸し暑さで寝苦しく悶々としているうちに、雷が鳴りだした。<br />
　今度は怯えさせる。<br />
　自然は容赦ない。<br />
　人間は縮こまっているだけだ。<br />
<blockquote>眞夜中の地震にとび起きニュース聞く</blockquote><br />
　日本各地で大地震の発生が予想されている。グラッとくると、たった今、自分が体験した揺れ以上の大地震がどこかで起こっているかも知れないという不安や恐怖が伴う。<br />
　思わずテレビやラジオをつけるのは日本人の習性となっているようだ。<br />
<blockquote>鳴かず飛ばず空蝉（ウツセミ）のごと句に縋る</blockquote><br />
　本来の「鳴かず飛ばず」は、目立つ動きをせずにじっと機会を待つことだったが、現在は、長期間ぱっとせずに過ごす状態そのものを指すことが多い。<br />
　この句もそれにならっている。<br />
「空蝉」もまた、「現身（ウツシミ）」つまり「今、現在この世にいる人」だったのが、万葉集で空蝉という文字が当て字として用いられたことから蝉の抜け殻そのものを指すようになった。<br />
　自分に厳しい作者は、人生をふり返り、自分の句を読み直して空蝉と言っているが、綴られた句には厳しさや強さのこもった独自の境地がある。<br />
　空蝉ではない。<br />
<blockquote>二声の夜更けの蝉や月赤し</blockquote><br />
「二声」とは、突然一度か二度鳴くだけの声である。<br />
　なぜか、アブラゼミなどにこうした習性がある。<br />
　エッと目を醒まさせられて空を見上げると赤い月がかかっている。<br />
　赤い月には「濃い」気持を引き出されるものだが、ここでは暑さを表しているのではなかろうか。<br />
<blockquote>夜の浅き夢見し蓮の匂ひけり</blockquote><br />
　蓮は夢の中のできごとなのか、それともうつらうつらしているうちに香が届いたのか。<br />
　蓮は日照に敏感であり、暗いうちは咲かないからきっと前者なのだろう。<br />
　幻想的な句である。<br />
<blockquote>夢の中風の渡りて蓮浄土</blockquote><br />
　夢の中で爽やかな風に頬を撫でられた。<br />
　風には蓮の香が幽かに感じられる。<br />
　浄土は確かである。<br />
　生前戒名を受け、写仏や勤行に勤しんできた作者はもう、浄土の住人である。<br />
　心が生き方となり、生き方が心を創る。<br />
　浄土がもたらされたのは必然である。]]></content></entry><entry><title>ヤクーバとライオン</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=675587" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=675587</id><issued>2008-08-19T06:49:43+09:00</issued><modified>2008-08-18T21:50:29Z</modified><created>2008-08-18T21:49:43Z</created><summary>　お盆供養を終えて最初に読んだのがフランス人絵本作家ティエリー・デデュー作の「ヤクーバとライオン」である。
　寺子屋開始への準備を加速させねばならない。
　副題が「勇気」であり、翻訳した柳田邦男氏は帯にこう書いている。
殺された側は報復のために相手を殺す。終...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>寺子屋だより</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　お盆供養を終えて最初に読んだのがフランス人絵本作家ティエリー・デデュー作の「ヤクーバとライオン」である。<br />
　寺子屋開始への準備を加速させねばならない。<br />
　副題が「勇気」であり、翻訳した柳田邦男氏は帯にこう書いている。<br />
<blockquote>殺された側は報復のために相手を殺す。終わりのない報復の殺し合いが続いていく。その悪循環を断ち切るにはどうすればよいのか。<br />
日本の社会に目を向けると、いじめられた子が復讐の事件を起こす。虐待された子がやがて虐待する側にまわる。これも同じ悪循環だ。<br />
もうひとつの道──。「殺さないことだ」というライオンの問いかけは重い。</blockquote><br />
　さて、物語である。<br />
<br />
　アフリカの奥地で祭の準備が始まっている。<br />
　成長した少年ヤクーバにとっては、戦士になれる晴れの日である。<br />
　たった一人でライオンを倒し、一人前の男になった証である〈勇気〉を示せるからだ。<br />
　ヤクーバは獲物を求め、山の近くを歩く。<br />
　やがて夜になってライオンと遭遇し、戦おうとする。<br />
　しかし、目が合ったライオンは無言で語りかける。<br />
「おまえが傷ついている私を倒すのはたやすかろう。どうするか。おまえは自分で道を選ばねばならない」<br />
　そして、ライオンを殺せば賞賛されるだろうが、それは本当の名誉なのだろうか。。<br />
　殺さなければ気高い心を持った人間になれるが、きっと仲間はずれにされるだろう。<br />
　ゆっくり考えよと言って、横たわる。<br />
　夜明けまで考えたヤクーバは、ライオンをちらっと見て立ち去る。<br />
　今か今かと待っていた村人たちは失望し、ライオンを仕留めた仲間たちが賞賛される一方で、ヤクーバは牛の世話などに回される。<br />
　村の牛たちは、二度とライオンに襲われなくなったという。<br />
<br />
　これだけの物語が、白黒の絵とわずかな文字で展開される。<br />
　イラストレーターでもあるティエリー・デデューは野太いタッチで野生を残すアフリカの日常を描き、同時に「生と死」「真の勇気」「真の気高さ」といった人間の根元に迫る。<br />
　ヤクーバの物語は、決して遠い奥地でのできごとではない。<br />
　日々、私たちは、彼と同じく人間としての真の価値を問われる場面に遭遇しているはずだが、あまり気づかないだけである。<br />
　自分で根本から考えて道を選ばず、目先の損得や、好き嫌いや、快不快や、他人からの賞賛と誹謗などを天秤にかけて判断してしまうからである。<br />
　いのちが快を求め、不快を避けるようにプログラムされている以上、やむを得ない。<br />
　しかし、人間は〈立ち止まる〉ことができる。<br />
　煩悩をコントロールすることができる。<br />
<br />
　たとえば、真夏の街路を足早に歩いていて目的地を探して困っているらしい老人が目に入った時である。<br />
　早く涼しい喫茶店へ入りたくて老人を見過ごそうとするのは、快不快の原理上、当然である。<br />
　そこで「見過ごせない」と思う一瞬が訪れるかどうか。<br />
　ここで霊性のレベルが試される。<br />
「この世は人生修行の場である」とは、畢竟、この一瞬を獲得するためにこそ人は生きるという意味ではなかろうか。<br />
<br />
　青年になったばかりのヤクーバは、とにかく立ち止まってみた。<br />
　まだ、瞬時に気高い道を選ぶところまで心が練られてはいなかったが、過たなかった。<br />
　彼はやがて、尊い一瞬一瞬に恵まれる人間になることだろう。<br />
　牛たちが襲われなくなったのは、彼がしっかりと清浄なる道を選んだことへの天地自然、仏神からの祝福に違いない。 <br />
]]></content></entry><entry><title>地鎮祭</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=675392" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=675392</id><issued>2008-08-18T11:15:56+09:00</issued><modified>2008-08-18T02:15:56Z</modified><created>2008-08-18T02:15:56Z</created><summary>　虚空蔵求聞持法の成満を受け、８月２４日（日）、地蔵盆の佳き日午前１０時より、供養堂（仮本堂）建立に向け、守本尊道場建立予定地にて地鎮祭を執り行いたく存じます。
　隠形流居合による修法となります。
　どうぞふるってご参加ください。

　来年の春彼岸に予定どおり...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>お知らせ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　虚空蔵求聞持法の成満を受け、８月２４日（日）、地蔵盆の佳き日午前１０時より、供養堂（仮本堂）建立に向け、守本尊道場建立予定地にて地鎮祭を執り行いたく存じます。<br />
　隠形流居合による修法となります。<br />
　どうぞふるってご参加ください。<br />
<br />
　来年の春彼岸に予定どおり完成すれば、永代供養のお位牌を安置すると共に、皆さんから奉納された守本尊様方も仮安置し、寺子屋はもちろん瞑想や居合の道場も始めます。<br />
　心を向けられる善男善女へご加護がありますよう。<br />
<br />
〈奉納となる守本尊様は総丈およそ３７?です〉<br />
<br />
<img src="images/honzon2.jpg" width="284" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
<img src="images/honzon4.jpg" width="236" height="400" alt="" class="pict" />]]></content></entry><entry><title>守本尊道場造営日記二十三　─あるべきようは─</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=675374" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=675374</id><issued>2008-08-18T07:46:58+09:00</issued><modified>2008-08-17T22:46:59Z</modified><created>2008-08-17T22:46:58Z</created><summary>　虚空蔵求聞持法を行った結果については前回、少々記しました。
　通常法務を行いながらの「夜学行者」に与えられたものは、奇瑞や超能力ではなく、明確なお諭しであり、お導きでした。
　そして、「開運不動明王」様をお迎えでき、寺子屋建立も一歩前進しました。
　また、...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>【解説】この世の幸せ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　虚空蔵求聞持法を行った結果については前回、少々記しました。<br />
　通常法務を行いながらの「夜学行者」に与えられたものは、奇瑞や超能力ではなく、明確なお諭しであり、お導きでした。<br />
　そして、「開運不動明王」様をお迎えでき、寺子屋建立も一歩前進しました。<br />
　また、何よりもありがたいと感じるのは、当山を信じて帰依し、支えようとしてくださる新たな檀信徒さんたちの出現であり、当山に懸けようとする若い方々の出現です。<br />
<br />
　境内地などの所有権は宗教法人という公的性格を強く帯びた特別な組織にあり、宗教上の役割としては万人へ開かれていなければならないはずの寺院が事実上、住職家族の私物となり、指定するお布施を持参する檀家さん以外へ門戸が固く閉ざされている現状は、世襲制の弊害と檀家制度に頼る姿勢とによってもたらされた歪みとを否応なく曝（サラ）しています。<br />
　托鉢修行によって、この弊害と歪みへ対する世間の方々の憂い、怒り、失望などを骨の髄まで思い知らせていただき、一行者としての道と共に、真の寺院の道も深く考えるようになりました。<br />
　これまでの歩みは、明恵上人の言葉「阿留辺幾夜宇和(アルベキヨウハ…いかにあるべきか)」に尽くされています。<br />
「法楽寺は後継ぎがいない」との陰口はさておき、檀信徒の方々も大っぴらには口にされないまでも、「住職も歳に不足はなくなってきたし、どうなるんだろうなあ」と心配をされていたはずですが、無理に身内へ継がせようとせず、人格・識見共にもっとも責任者にふさわしい人物との縁を信じて疑わずやってきました。<br />
　運営についても、経営の専門家などからいろいろなアドバイスをいただきましたが、ただただ「ご縁の方々の常識と良識を信じ、すべてを清浄なお布施でまかない、ことの成否はご本尊様へお任せする」姿勢一筋で、愚妻共々歯をくいしばりつつやってきました。<br />
<br />
　今回のお盆供養会は、すでに得度している行者Ｏ君が主導し、行者Ｔさんたちが先輩方のご指導をいただきながら一丸となって支えて遂行されました。<br />
　ここに至り、あとを託せる方々が明らかになりました。<br />
　また、宮城県内外からのご縁が重なり、清浄なお布施の力によって伽藍ができる流れも明らかになりました。<br />
　虚空蔵菩薩様をはじめとする守本尊様方のご加護としか思えません。<br />
　これまで愚直に守ってきた「あるべきよう」が、いくばくかは、み仏にお認めいただけたのではないかと思うと、お支えいただいた方々とみ仏への感謝の念に満たされます。<br />
　<br />
　今日から新たな修行へ入ります。<br />
　み仏のお導きと、お支え下さる方々と、託す方々とを信じつつ………。 ]]></content></entry><entry><title>守本尊道場造営日記二十二　―虚空蔵求聞持法が成満しました―</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=675181" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=675181</id><issued>2008-08-17T09:16:39+09:00</issued><modified>2008-08-17T00:46:00Z</modified><created>2008-08-17T00:16:39Z</created><summary>　おかげさまにて、８月１７日（月蝕）、虚空蔵求聞持法百八万返の行が成満しました。
　１０８個の珠がついた数珠を一回繰って百と数える方法もあり、その場合は百万返になります。
　ご本尊様は当然ですが、ご助力下さり、あるいはお見守りくださったご縁の方々、無縁の方...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>寺子屋だより</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　おかげさまにて、８月１７日（月蝕）、虚空蔵求聞持法百八万返の行が成満しました。<br />
　１０８個の珠がついた数珠を一回繰って百と数える方法もあり、その場合は百万返になります。<br />
　ご本尊様は当然ですが、ご助力下さり、あるいはお見守りくださったご縁の方々、無縁の方々、そして生きとし生けるものへ心より感謝します。<br />
　まことにありがとうございました。<br />
<br />
　起床した時はどしゃぶりでした。<br />
　暗がりの中、手探りで作務衣を探し当てたところ、ぐっしょり濡れています。<br />
　ちょっとした台の上へ置いた作務衣の真上で、いつものように雨漏りがしていました。<br />
　寝起きしているプレハブは耐用年数を過ぎているのでしょう。<br />
　おかげで布団が濡れずに安眠できたのでありがたいなと思いながら、またもや、菩薩道を歩む行者の役割を教えていただいたことに、心から感謝しました。<br />
　身代わりとなって苦を受ける代受苦（ダイジュク）は、お地蔵様に代表されるとおり、菩薩の根本役割だからです。<br />
<br />
　作務衣の代わりに洗面器を置いて外へ出て台所に行ってみたら、流し台に落ちたメロンの皮へ無数のアリたちがへばりついていました。<br />
　文字どおり真っ黒に見えるほど群がっています。<br />
　このまま私が顔を洗い始めたら、彼らは全滅です。<br />
　大きなスプーンで皮をゴミ箱に移しても、未練たっぷりな連中は、まだ、水が流れ落ちる穴の上下で残物に取り付き、ウロウロしています。<br />
　警告のために少しづつ水を流したところ、２分ほどかかって退去が終わりました。<br />
　きっと穴へ落ちた者もいることでしょう。<br />
　今度は、煩悩のあさましさを教えられました。<br />
<br />
　道場へ行き、満願を迎える日に開けることになっている東側の窓から外を眺めても、暗い雨空ばかりで何も見えません。<br />
　聞こえるのは屋根を叩く雨音だけです。<br />
　行が進むうちにだんだん小雨となり、ジージー、チチチチ、コロコロコロコロなどと鳴く虫の声が高くなり、やがて、ウグイスが鳴き始めました。<br />
　昨夜の涼しさと今朝の冷たい雨のせいでしょうか、もう、蝉の声はしません。<br />
　最後の一回を唱え終わり、ご本尊様と一体になる法へ入りました。<br />
<br />
　深々とした充足感のみ──。<br />
<br />
「一体無二なり」と確認して定（ジョウ…瞑想状態）から出ると、もう、何も要りません。すべてがあるからです。<br />
　あとは、人々のために必要な場を造り、ご参詣の方や願いをかける方に無限の福徳をお持ち帰りいただくだけです。<br />
　ご本尊様のおられるお堂は、汲めども尽きない福徳の泉です。<br />
<br />
　さて、自分の心を観ると、在るものと不足しているものとが明らかです。<br />
　お大師様も興教大師様も、繰り返し、繰り返し虚空蔵求聞持法を修されたわけが想像できます。<br />
　また、なぜ、お大師様が、「小乗仏教も、密教ではない大乗仏教もそれなりに会得した上で密教へ入るべし」と説かれたのか、当時、最高の権威を誇っていた南都六宗から尊敬されたのか、やっと本当の理由が解りました。<br />
　同時に、お大師様が唐へ行くまでの間、山林を廻りながらいかなる修行をしておられたのか、ほとんど解明されていない謎が解け始めています。<br />
　このことについては、書ける日が来るかも知れないし、確信が持てず胸にしまったままになるかも知れません。<br />
　いずれにせよ、私のような未熟者は、この先へ進む、あるいは深めるなどということではなく、基礎をやり直さねばなりません。<br />
　欠けていることを知ってしまった以上、放っておいては偽者になってしまいます。<br />
　高徳の方々は先へ進み、徳の薄い者は引き返す。<br />
　凡人の人生は二歩進んで一歩退がるものであることをやっと体得しました。<br />
　無一文になってすら、〈自分で退がる〉ことを知りませんでした。<br />
　ものごとの終わりと始めを司る虚空蔵菩薩様のお導きは確かです。<br />
<br />
　我に返って窓へ視線を向けると、ご本尊様の頭越しに、雨の上がった灰色の空をバックにした森と桜の樹が見えます。<br />
　桜の葉はピクリともしません。<br />
　灰色の空はその後側へ無限の宇宙を隠したまま、じっとしています。<br />
　どんどん、明るさが増して来ました。<br />
　いつも通り、今日も法務が始まります。<br />
　虚空蔵菩薩様は、まことに福徳と智慧の守本尊様です。<br />
　お求めの方々のためには修法によって福徳をお渡ししたいと願っています。<br />
　そして、それが実践できるよう、自分の未熟さを観る智慧をも磨きつつ修行を続けたいと願っています。<br />
<br />
　このたび、何とか真のお焚きあげをしたいと願って手がけていた『開運不動明王』のお堂が一年がかりで完成しました。<br />
　地蔵盆に当たる８月２４日には地鎮祭を執り行い、いよいよ寺子屋ができる供養堂の建築に着工します。<br />
　資金は供養堂に要する半分にも満たない状態ですが、必ず完成へこぎつけられるものと確信しています。<br />
<br />
○守本尊様のご供養申込数累計　　　　　１４１体 <br />
○唱えた真言の回数累計　　　１、０８０、０００回 <br />
]]></content></entry><entry><title>お盆供養会が終わりました</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=675075" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=675075</id><issued>2008-08-16T18:39:00+09:00</issued><modified>2008-08-16T09:43:16Z</modified><created>2008-08-16T09:39:00Z</created><summary>　１５日、お盆供養会が終わりました。
　恒例の奉納剣でも雨に祟られず、無事、守本尊法を終えることができました。
　お塔婆の申し込みがこれまでで一番多かっただけでなく、何日も前から準備にかけつけ、遅くまで後かたづけをしてくださった方々の数もこれまでにないほど...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>お知らせ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　１５日、お盆供養会が終わりました。<br />
　恒例の奉納剣でも雨に祟られず、無事、守本尊法を終えることができました。<br />
　お塔婆の申し込みがこれまでで一番多かっただけでなく、何日も前から準備にかけつけ、遅くまで後かたづけをしてくださった方々の数もこれまでにないほどであり、とても感謝し切れない数日でした。<br />
　ベテランの役員さん方と若い行者たちが一つになって運営の立案から実行までを取り仕切り、爽やかでスムーズな式典となりました。<br />
　ご奉仕、ご参加、供養のお申し込みをくださった方々へあらためて感謝申し上げます。<br />
<br />
　さて、護摩供養の修法を行っていて、龍がとぐろを巻いているような渦巻や、龍が天へ駆け昇るかのような上昇気流を感じた瞬間がいくつかありましたが、信徒さんが撮ってくださった写真にそうした気配が映し出されていたのには驚嘆しました。<br />
<br />
〈なぜか、上へ伸びず、溜まっているように燃えています〉<br />
<img src="images/2008152.jpg" width="300" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈螺旋になって伸び始めました〉<br />
<img src="images/2008151.jpg" width="300" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈どこかシュールな睡蓮です〉<br />
<img src="images/2008153.jpg" width="400" height="300" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈ほぼ完成した『開運不動明王』様のお堂前で慈救呪（ジクジュ）を開始〉<br />
<img src="images/2008168.jpg" width="400" height="300" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈準備の疲労を超えてイザ九字法へ〉<br />
<img src="images/2008156.jpg" width="335" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈魔ものは去れ〉<br />
<img src="images/2008154.jpg" width="400" height="358" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈天魔から守る隠形（オンギョウ）の構え〉<br />
<img src="images/2008157.jpg" width="368" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
〈エイッと難しい抜きつけ〉<br />
<img src="images/2008155.jpg" width="317" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
　ところで、「死を忘却することは怠惰の入口、死を意識することは目的達成の入口」という言葉があるそうです。<br />
　死は自分にも、あるいは誰かにも、一瞬後に訪れて何の不思議もないので、なすべきことをなす、なせるのは今しかありません。<br />
　こうした事情は何も行者に限ったことではなく万人に通じる真実であり、目的意識が明確な人なら誰でも今、行わないではいられないはずです。<br />
　怠惰の入り口から入るわけにはゆきません。<br />
　<br />
　そうした意味でも、お盆のような「亡き人」を偲び、供養する機会はとても大切なものです。<br />
　自分が今、偲んでいる相手のように誰からか偲ばれていてもあたりまえなのだという想像力、それをもたらす無常の理への理解。<br />
　言葉で「人は誰でも死ぬ」と考えるだけでなく、胸に迫り来る感覚を伴った理解が生じれば、怠惰への転落は防がれ、同じ死すべき宿命を持った同士としての他人やいのちあるものたちへの姿勢も変わることでしょう。<br />
　こうして、亡き人を供養することは、その縁によって自分が供養されること通じ、正しい供養は常に「相互供養」になります。]]></content></entry><entry><title>本日、お盆供養会です</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=674814" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=674814</id><issued>2008-08-15T06:14:06+09:00</issued><modified>2008-08-14T21:14:06Z</modified><created>2008-08-14T21:14:06Z</created><summary>　いよいよお盆供養会となりました。

　この世は勝者にとっては甘美であり、敗者にとっては苦汁に満ちているように思われるものです。
　しかし、み仏の眼には、同じ無常を懸命に生きる健気な者たちが平等に観えていることでしょう。

　私たちは、毎日をそれなりに過ごしてい...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject /><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　いよいよお盆供養会となりました。<br />
<br />
　この世は勝者にとっては甘美であり、敗者にとっては苦汁に満ちているように思われるものです。<br />
　しかし、み仏の眼には、同じ無常を懸命に生きる健気な者たちが平等に観えていることでしょう。<br />
<br />
　私たちは、毎日をそれなりに過ごしていますが、地球上には「それなりに」過ごせない人々が何億人もいます。<br />
　同じように、あの世にも亡者となって成仏できない方々がおられると説かれています。<br />
　そうした御霊を供養し、万霊供養の誠をもって身内の御霊の菩提を弔うのがお盆供養の本質です。<br />
<br />
　あの世の方々も、そしてこの世の生きとし生けるものすべても、苦を離れ楽を得られるよう祈りましょう。<br />
　離苦得楽（リクトクラク）の祈りがあの世をもこの世をもくまなく照らしますよう。<br />
　先に逝かれた方々が安寧でありますよう。<br />
　そして、「私たちは、み仏のご加護あふれる真実世界の住人である」と感得されますよう。 ]]></content></entry><entry><title>欲と三毒</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=674525" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=674525</id><issued>2008-08-13T22:44:57+09:00</issued><modified>2008-08-13T13:44:58Z</modified><created>2008-08-13T13:44:57Z</created><summary>　またまた、研究熱心なＡさんからこうした質問をいただきました。
「人間が生きものである以上、欲があるのは当然なのに、『欲をなくせ』というのはおかしいんじゃありませんか？」
　これまで何度も書いたテーマですが、もう一度確認しておきましょう。

「欲」と「貪り」「...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>【解説】この世の幸せ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　またまた、研究熱心なＡさんからこうした質問をいただきました。<br />
「人間が生きものである以上、欲があるのは当然なのに、『欲をなくせ』というのはおかしいんじゃありませんか？」<br />
　これまで何度も書いたテーマですが、もう一度確認しておきましょう。<br />
<br />
「欲」と「貪り」「怒り」「愚かさ」の三毒との関係を考えてみましょう。<br />
　ご質問のとおり、私たちは生きものですから食べねばならず、食欲があるのは生きものとして健全な状態であって、食欲は善でも悪でもありません。<br />
　若いＡさんにとって悩みの種である性欲もまた、いのちのバトンタッチをしようとする自然な力であり、善でも悪でもありません。<br />
　いのちにはリズムがあり、休息のための睡眠欲もまた、善でも悪でもありません。<br />
　社会的動物である人間は、衣食住をきちんとするのが当然であり、志を実現するためには発言力などの社会的力も必要なので、財欲も名誉欲も、善悪のどちらと色分けをすることはできません。<br />
　ならば、なぜ、この「五欲」が三毒をもたらすのでしょうか。<br />
<br />
　それは、欲には自分で自分をコントロールする力がなく、意識してブレーキをかけないと暴走する性質があるからです。<br />
　食欲はたやすく「もっと」と貪りへ傾斜します。<br />
　そして、貪るという方向へいのちのはたらきが習慣づけられると、他の欲もそうした動きをするようになりがちです。<br />
　性欲はたやすく相手への執着を生み、思いのままにならなければたちまち怒りが渦巻きます。<br />
　怒りもまた習慣となり、正邪の感覚に結びつくと怒りが毒であることが解らなくなる場合もあります。<br />
　惰眠を貪れば、時間が人生であるという真理を忘れ、財産や名誉そのものにこだわれば、すべては空（クウ）であるという真実を忘れて、勝手な妄想が起こります。<br />
　ありとあらゆるものは直接的原因である「因」と間接的原因である「縁」とが織りなす一瞬の現象であり、空がこの世の本当の姿であることを忘れ、誤ったものの見方が欲のはたらく方向を誤らせて、苦が生じます。<br />
<br />
　こうして五欲は自他を害するので、釈尊は欲を制御する方法として慈悲と智慧を説かれました。<br />
　慈悲とは自己中心を離れた思いやりであり、智慧とは守るべきものとしてきちんと戒律を理解する智慧です。<br />
　我を主とせずに他を思いやり、戒律をくり返しくり返し念じていれば、欲が悪業をつくらぬよう、適度なところでストップがかかります。<br />
　み仏の教えと加持力の発露です。<br />
　ここが、暴れ回る我欲となって悪業を積むか、自他を活かす大欲となって善業を積むかの分かれ目です。<br />
　同じ「欲」が、心のありよう一つで地獄へも極楽へも導くのです。<br />
<br />
　このように、「欲をなくせ」は「欲に三毒を生ませるな」であり、「慈悲と智慧に生きなさい」でもあります。 ]]></content></entry><entry><title>【現代の偉人伝】　第６３話　―北島康介―</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=674171" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=674171</id><issued>2008-08-12T06:50:23+09:00</issued><modified>2008-08-11T22:07:54Z</modified><created>2008-08-11T21:50:23Z</created><summary>現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜とは
アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々･･･。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきなのではないでしょうか？ あなたの身近に...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<strong>現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜とは</strong><br />
<img src="images/ilm13_ad01004-s_r1_c1.jpg" width="198" height="195" alt="" class="pict" align="left" />アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々･･･。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきなのではないでしょうか？ あなたの身近にいる偉人を紹介してください！当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。<br />
<a href="http://hourakuji.net/ijinden.htm" target="_blank">>詳しくはこちらをご覧ください。</a></p><br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
　８月１１日、北島康介選手は、男子百メートル平泳ぎの決勝で５８秒９１の世界新記録を樹立し、優勝した。<br />
<br />
　予選よりも準決勝でタイムを落とした日、北島選手は平井伯昌（ノリマサ）コーチとレースを分析し、対策を決めた。<br />
　１２年間、見守ったコーチのメモは、「スタートの思い切り」「ストロークのテンポを落とす」「ラスト１０メートルからタッチまでのイメージ」だった。<br />
　徹底的に話し合った結果、二人にはもう、何も話題がなくなったという。<br />
　あまりの泳ぎやすさに、「生半可な記録では勝てないプール」と世界新記録で勝つ覚悟を決めていた北島選手は、決めたままに実行し、結果を出した。<br />
　その見事さに、コーチは言った。<br />
「なぜ、あれだけ度胸良く僕の言った通りにやれるんだろう」<br />
<br />
　スポーツ選手は力みを警戒する。<br />
　準決勝について「力んだ」と報道された北島選手は、「ストロークのテンポを落とす」ことにした。<br />
　腕に入る力が同じならばストローク数の多い方が速く泳げるはずであり、テンポを落とすことは恐ろしくないものだろうか。<br />
　しかも場は決勝戦、一発勝負である。<br />
　相当緻密に自分の実力を知り、かつ、度胸が良くなければきちんと実行できないことだろう。<br />
　十分の一秒、百分の一秒といった次元での戦いでは、少しでも生半可な部分のある者が勝利を得られるずはない。<br />
<br />
　ところで、一流選手のイメージする「力まない状態」とはいかなるものだろうか。<br />
　居合を少々かじった者の体験から推測すると、「肘のゆとり」と関係があるのかと思う。<br />
　どんなに強く、速く、遠くへと連続して剣を振ろうとも、肘は決して伸ばしきらない。<br />
　必ず、わずかに曲がっている。<br />
　無我夢中で稽古をし、二度、肘を痛め、剣を三本折って初めて、この〈ゆとり〉がいくらか掴めた。<br />
　きっと、一つの動きが終わりきる一瞬手前で次の動きが始まっていなければ、持てる力を出しきることができないのだろう。<br />
　もちろん、一つの動きをできるかぎりのところまで完全に行うことが大前提である。<br />
「ひとかきを丁寧に」という北島選手のイメージは、最後まできちんと腕をかきながらも、実際は、かききってしまうほんの一瞬手前で次の動きへの準備ができている状態ではなかろうか。<br />
　丁寧さには「そっと」が寄り添う。<br />
　一つの動きが最後のところまで進み、次へつながる際の柔らかさ、滑らかさを確保することが「力まない」ではないか。<br />
<br />
　君が代を口にしながら表彰台の真ん中に立った北島選手は、三人の中で最も小柄だった。<br />
　きっと、「スタートの思い切り」で小柄ならではの敏捷さを活かし、「ラスト１０メートルからタッチまでのイメージ」でラストスパートをシャープにし、相対的な腕の短さを補ったのだろう。<br />
　少年時代から世界一を口癖にしていた北島選手。<br />
　泳ぐ前に気持ちで負けを感じた相手には一生勝てないと考え、怖れや不安を一掃してきた北島選手。<br />
　その心と、鍛え抜いた身体と、冷静な作戦によってもたらされた技。<br />
　心・技・体を極めた希有の例と言えるのではなかろうか。 ]]></content></entry><entry><title>ドリームキャッチャー</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=673924" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=673924</id><issued>2008-08-11T07:01:54+09:00</issued><modified>2008-08-11T03:09:21Z</modified><created>2008-08-10T22:01:54Z</created><summary>　Ａさん宅へ一周忌のご供養にでかけました。
　終わってからふと見上げると、左上の小窓に長さ２０?ほどの飾り物がぶら下がっています。
　一瞬、気に留めながら、すぐに忘れて後かたづけを終わったところ、喪主から声をかけられました。
「ご住職、あれは何だかお判りです...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>【解説】この世の幸せ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　Ａさん宅へ一周忌のご供養にでかけました。<br />
　終わってからふと見上げると、左上の小窓に長さ２０?ほどの飾り物がぶら下がっています。<br />
　一瞬、気に留めながら、すぐに忘れて後かたづけを終わったところ、喪主から声をかけられました。<br />
「ご住職、あれは何だかお判りですか？」<br />
　指さしたのは、さっきの飾り物です。<br />
「異教のもののお話ですみませんが、ドリームキャッチャーといって、悪夢を祓うお守です」<br />
　ぶら下がっている羽の様子と色合いなどからして、インディアンのものかと思ったら、案の定そうでした。<br />
<br />
〈１０年間、Ａさんのお母さんを守ったドリームキャッチャー〉<br />
<br />
<img src="images/s-s-200811.jpg" width="254" height="400" alt="" class="pict" /><br />
<br />
　会食の席でいきなり法話のご指名があり、こんなお話をしました。<br />
<br />
　さきほど、とても印象的なお守を見せていただきました。<br />
　ドリームキャッチャーとは良い名前ですね。<br />
　きっと、亡きお母さんは悪夢に悩まされなくなったことでしょう。<br />
<br />
　さて、私たちの心は、六境（ロッキョウ…色・声・香・味・触・法）という環境世界を対象として、六根（ロッコン…眼・耳・鼻・舌・身・意）という知覚器官が反応し、それを「触（ソク）」というはたらきが選び分けて六識（ロクシキ…眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識）が生じます。<br />
　一瞬一瞬、生じては滅する識の連続が心です。<br />
　この「触」が問題であり、個人個人の心によってそれぞれが異なった世界の住人となっているのは、ここに理由があります。<br />
　たとえばツァーに参加した人びとは一緒に同じ景色を観たはずなのに、帰りのバスの中で盛り上がる感動の内容はまったく異なっていますね。<br />
　Ｂさんは、湖の色が神秘的だったと言い、Ｃさんは峰を行く雲の流れに永遠を感じたと言い、Ｄさんは鳥たちの声に和まされたと言うことでしょう。<br />
　それは、「触」が選び取っているからです。<br />
<br />
　私たちの脳内には、巨大なハードディスクともいうべき「マナ識」があり、生きている一瞬一瞬のできごとをすべて蓄えています。<br />
　これは潜在意識的なもので意識的に内容の確認はできませんが、千差万別の色合を持ち、「触」を決めることによって、その人がどういう人生を生きてきたかを証明してくれます。<br />
　ＢさんとＣさんとＤさんは、まったく無意識にそれぞれのマナ識に応じた「触」がはたらいて湖の色や、雲の流れや、鳥たちの声を選んだのであり、それがさらに三人三様の心の色合を深めるのです。<br />
　<br />
　きっと、亡きお母さんは、孝行息子がアメリカからお守を買ってきてくれたことを嬉しく思い、その役割を信じて枕元へ飾ったことでしょう。<br />
　信じて飾ったというできごとは、当然、マナ識へ入ります。<br />
　しかも、何となくそこへ掛けたのではなく、感謝と信が伴っているので、マナ識にあって強い光を放ちながら「触」へ大きく関わっていたはずです。<br />
　ドリームキャッチャーは、きっと役だっていたに違いありません。<br />
<br />
　先ほど、喪主さんは私に遠慮して「異教のもの」とおっしゃいましたが、私たち日本人は古来、そうした面ではとても寛容です。<br />
　縁に応じてさまざまな仏神に手を合わせるからといって、「日本人は宗教心が薄い」と批判的に考える方々もおられますが、私はとても良い宗教感覚を持っていると自負しても構わないと考えています。<br />
　むしろ積極的に寛容な文化を世界へ発信すべきであるとも考えています。<br />
　現代世界で人間を戦わせているのは、頑なな宗教や独善的なイデオロギーや独裁的な政治システムなどがまとっている「非寛容さ」であり、日本の世界的役割として最大のものは、寛容な立場からの行動ではないでしょうか。<br />
<br />
　今日はすばらしい宝ものを見せていただき、ありがとうございました。 <br />
]]></content></entry><entry><title>修羅と天</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=673638" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=673638</id><issued>2008-08-10T05:43:19+09:00</issued><modified>2008-08-09T20:43:20Z</modified><created>2008-08-09T20:43:19Z</created><summary>　頻繁に、「立場」のある方が犯した罪について報道されます。
　学識経験、人格識見、どこから見ても立派な人が、なぜ、堕ちるのか。
　それは、地獄、餓鬼、畜生といった表面に出やすい三悪道を脱していても、修羅や天という迷いの部分を脱しきることは困難だからです。

　...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>【解説】この世の幸せ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　頻繁に、「立場」のある方が犯した罪について報道されます。<br />
　学識経験、人格識見、どこから見ても立派な人が、なぜ、堕ちるのか。<br />
　それは、地獄、餓鬼、畜生といった表面に出やすい三悪道を脱していても、修羅や天という迷いの部分を脱しきることは困難だからです。<br />
<br />
　修羅は、自分より上の存在を認めたがりません。<br />
　嫉妬し、「何で私はあいつより下なんだ！」と不満や怒りを抱きます。<br />
　そして、「いつかはあいつよりも上になってやろう」と戦いの炎を燃やします。<br />
　こうした険しさが修羅の正体です。<br />
　憎しみや怨みが強ければ、決して「空（クウ）」を悟れません。<br />
　嫉妬や怒りは、その対象となっている相手と自分の精神のレベルが近いから起こるのであって、「あいつめ！」という状態の時は、内心でさんざん貶めている相手と自分が同レベルであることを認識すべきです。<br />
　そうすると自分が恥ずかしくなり、黒い炎が消える場合もあります。<br />
<br />
　天人は最高の楽しみに囲まれているので、必ず慢心します。<br />
　苦しみ、悲しみ、嘆いている修羅や人間や畜生などは自分より下であるという意識があります。<br />
　そうして弱者への慈悲から離れることは悪業を生み、必ず、天から転落する時を迎えます。<br />
　転落は５つの予兆となって始まり、自分の行く先が判ります。<br />
　天界から地獄界や畜生界へ行かねばならないことを知った時の嘆きや、恐怖や、失望はいかばかりでしょうか。<br />
　楽しみが大きかっただけに、落差は心をどん底へたたき落とすのに充分すぎます。<br />
　こうして、何不自由ないかに見える天界もまた、輪廻転生を免れることはできません。<br />
<br />
　のし上がる人や、のし上がった人が、修羅や天の要素を持たないことは困難です。<br />
　知らぬ間に嫉妬や慢心の汚れが悪業を積ませ、因果応報で悪果を招きやすくなります。<br />
<br />
　清浄な心で切磋琢磨しましょう。<br />
　清浄な心で立場や財物を活かしましょう。<br />
　釈尊が清浄な心で自分を見つめ、現象世界をありのままに観たからこそ安寧を得られたことを忘れないようにしたいものです。 ]]></content></entry><entry><title>一対になった方　―生前戒名の安心―</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://blog.hourakuji.net/?eid=673451" /><id>http://blog.hourakuji.net/?eid=673451</id><issued>2008-08-09T06:50:12+09:00</issued><modified>2008-08-08T21:50:13Z</modified><created>2008-08-08T21:50:12Z</created><summary>　最愛の伴侶を亡くしたＡさんが、涙ながらに生前戒名を求められました。
　もちろん、意義については充分にご理解の上、「一緒にいられそうだから」と決断しました。

　ご主人の戒名には、事前の話はなかったにもかかわらず、ネクタイピンを作るほど好きだった生きものの名...</summary><author><name>住職　遠藤龍地</name></author><dc:subject>【解説】この世の幸せ</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[　最愛の伴侶を亡くしたＡさんが、涙ながらに生前戒名を求められました。<br />
　もちろん、意義については充分にご理解の上、「一緒にいられそうだから」と決断しました。<br />
<br />
　ご主人の戒名には、事前の話はなかったにもかかわらず、ネクタイピンを作るほど好きだった生きものの名前が登場して驚かれましたが、今度は、お父さんが愛娘へそうあって欲しいと願っていたという花の名前が出ました。<br />
　二つの戒名を並べると、まさに一対としか言いようがありません。<br />
<br />
　お授けを受けたＡさんは、世間の荒波に一緒になって立ち向かったご夫婦の話に加え、家族同様だった愛犬のエピソードも聞かせてくれました。<br />
　ご主人が倒れて入院した日、一緒にベッドで寝ていた飼い犬Ｂ君が突然、体調を崩して食べものが喉を通らなくなり、病院で検査を受けても原因が見つからず、そのまま入院となりました。<br />
　ところが不思議なことに、ご主人が亡くなった日から、まったく以前通りの元気をとりもどしたのです。<br />
　自分も苦を背負おうとしたのか、それとも、守らねばと自分のいのちをかけたのか、よくは判りませんが、単純に、「寝る時に一緒のご主人様がいなくなったストレス」とは思えないそうです。<br />
　そうであるならば、亡くなった途端に食べものへ喰らいつくはずはありません。<br />
　Ｂ君なりに何かを知り、自然な反応が出たのでしょう。<br />
<br />
　Ａさんの述懐です。<br />
「もう、これで、何の心配もありません。<br />
　主人がいなくなった以上、欲しいものなどもありません。<br />
　後を追うつもりでいたのにこのような生き直しができたのは、想像もしなかったことです。<br />
　主人はあの世で、私はこの世で、しっかりやって行きます。<br />
　仏様に、いつまでも一対ですよと教えていただいたのですから」<br />
　Ａさんは、ことに応じて、生前戒名にある法名を新たな名前として名乗り、刻んだ文字の朱色のように活き活きと過ごされることでしょう。<br />
<br />
　耐用年数の過ぎた肉体という衣を脱ぎ捨ててみ仏の世界へ旅立ったご主人、そして、み仏の子としてこの世で生き直しをされた奥さんの新たな旅立ちへみ仏のご加護がありますよう。]]></content></entry></feed>